巷にファッション関連の情報が山ほどあるのに、誰一人解決していないかに見えます。本当は楽しいはずのオシャレ。ところが反対にオシャレが私たちをがんじがらめにしています。
- 何を着れば良いかわからない。
- 何を着ても似合わない。
- 買っても買っても着る服がない。
- この服装はダサイと思われないだろうか。
- この服は流行おくれだろうか。
- これを着ていたら「同じ格好ばかり」と思われるだろうか。
・・などなど。
楽しいはずのオシャレが、どうしてこんなに私たちを苦しめているのでしょうか。そして、オシャレするとはいったい何のためで、どうして楽しいことではなくなり、苦し紛れに考えなくてはいけないものに、いつからなったのでしょうか。
オシャレな人と感じる要因に、「本当にオシャレかどうかは関係ない。」最近、気付きました。
実のところ、多くの人は、無意識に「オシャレを楽しんでいるように見える人」を求めているのです。
それが実際にセンスが良いかどうかはあまり関係ありません。先日、電車に乗っていた時、向かいに座っている女性は、まさに「オシャレを楽しんでいる」人に違いありませんでした。
バッグは、リュックサックですが、時々見かける絵に描いたリュックサックのデザインのものでした。それだけでもインパクト大なのですが、首にはアジアン風のカラフルなストールを巻き、頭にも何かを被っていたと思います。
とにかく、全身から「オシャレを楽しんでいます」の空気が伝わってきました。こういう女性はそばにいるだけで、心が豊かになります。
バッグも服も、私が着る、持つことは、とうてい想像がつきません。全く好みのものではありません。けれども、精神的な豊かさを感じます。
オシャレの様子がセンスが良いと感じるかどうかや、自分の好みの服装であるかは実はそれほど重要ではありません。「工夫しているな」と感じさせることが重要なんですね。
オシャレの工夫をしていると感じさせるということは、心に余裕があると感じるのです。それが相手に対する好印象につながります。やはり人は幸せそうな人、楽しそうな人に本能的に惹かれるからです。
反対に、なりふり構わず、オシャレの「オ」の字も感じない雰囲気の場合は、「この人と過ごしたら楽しいだろうな」というプラスの意味でのメリットを感じにくくなります。もちろん、その人はオシャレではなくて別の分野に幸福感や楽しみを持っているのでしょう。だから必ずしもオシャレにだけ注意を払わなくても良い・・といえばそれまでですが。けれども、外見は一目瞭然でわかりやすいんですよね。そして手っ取り早いのです。
多くの人が、オシャレであろうとするのは、つまりそういう事を無意識に察しているからです。だからビクビクするように、微細な事に神経を使い過ぎるようなオシャレをしなくても、十分効果があるのではないでしょうか。
つまりは、「どう思われるだろうか」「どう映るだろうか」「少ない数でもオシャレに見せるには」などと細かくビクビクするのをやめて、もっと大らかに自由に楽にオシャレを楽しんではどうかと思うのです。
その人が楽しそうにコーディネイトしていたら、それだけで素敵な雰囲気が出ているんですよね。本来、オシャレとはそういうものではないでしょうか。
しょせん、人の好みは十人十色です。すべての人に「褒められるファッション」はありません。