簡単に暮らせ

ちゃくま・我が家流シンプル、ちょっとミニマム、家事も家計も整理収納も思考も簡単に。

身の丈で暮すな

 

「お金持ちの家には物が少ない」という記述を、持たない系のサイトや本でよく見かけます。それは本当なのでしょうか。本当にお金持ちの家には物が少ないのでしょうか。私は反対の印象を持っています。

やはりお金持ちは物をたくさん持っています。「物欲が高い」とか、「お金があるから買う」だけの理由ではありません。本人が望まなくても、持たざるを得ない事情があるのです。

「お金持ち」は、やっぱりたくさん物を持っている

たまたま「見えていない」だけ

「物」と言っても様々です。例えば室内に「物」は少なくても庭に高価な盆栽が並んでいるなどがあります。また、高級車はガレージにありますから室内にはありません。

「庭」には、わざわざ取り寄せた高価な樹木や石などがありますが、それも一見「何もない」と見えることでしょう。

別荘や、投資用の不動産を多数持っていても、普段住んでいる家からは見えません。たくさん金を保有していてもたいていは金庫の中ですから、それも見えません。

普段は使わないけれど、貴金属のアクセサリー等を持っていれば、小さいのでたまたま訪問した人には「ある」とは見えません。

また、30平米の1LDKと70平米の2LDKの住まいでは同じ量の物が置いてあれば、後者の方が「物がない」と見えます。けれども実際は「置いてある物」が同じなら「広い住まい」の分だけ実は余計にたくさん「家」という物を持っています。

物が多いとか少ないなどの話をしたり、判断するときには、つい、雑誌の一ページに掲載された写真の印象の感覚で判断しがちです。

室内の広さによる錯覚

当然、広い室内と狭い室内とでは、物の量が同じでも広い室内の方が「なんにもない」と見えます。どんなに物が少なくても部屋が狭い場合には、それほど「物がない」とは見えません。

何より「家」自体がそもそも巨大な物の集合体です。ところが肝心の「家という物」に注目する人はあまりいません。庭や庭の構築物、樹木、草花も同様です。

室内に置いてあるだけの「物」は買ってくるだけですが、一見「物」には見えない樹木や草木やガレージや池や芝生などは人の手を借りなければ庭に存在できません。ひとたび庭の一部になってしまえば「物」には見えないだけです。けれども、明らかにそこには「物」を買うのと同じく金銭の受け渡しが生じます。人の労力を使い、トラック、重機なども使用します。

実は相当な「物」が介入しています。「お金持ちの家は物が少ない」節は、半分正解で半分不正解です。

お金持ちは節税対策に「物」を買わざるを得ない

お金持ちが物を買わざるを得ない一つの理由が税金です。本当は、物をそれほど持つ必要がなくても、新しく買い替える必要がなくても、安い物で間に合っていても、税金が絡むと物を持たざるを得ないことがあるのです。買い替えをしたり、一定以上の高品質な物を買う必要性が出てきます。

おそらくお金持ちの家に「物が少ない」と見えるのは空間による錯覚です。たいていの場合、お金持ちの家のスペースは広いので物の総量が同じでも少なく見えるのです。

「お金持ち」の定義は相対的なこと

そもそも「お金持ち」と一口に言ってもその段階は多様です。たいていは自分と比較して金銭的にゆとりがあるように見える人を指します。

テレビで観るようなわかりやすいイメージの「お金持ち」のほか、その在りようは様々です。一般庶民からすれば、医師、弁護士、企業の代表などは「お金持ち」の印象を持っています。婚活などでもこのような職種の方は人気だそうです。

ですが必ずしもそうした人がお金持ちであるとは限りません。何より、こうした職種の方達は日々神経をすり減らし、多忙な日を送っています。つまり、多くの努力と時間と費用をかけて資格を取り、さらに多大な業務を行った報酬による収入です。そのため資産家が収益を得るような物とは全く種類が異なるのです。

おそらく、たくさんの資産がある人が行っているのは節税対策です。たいていは、その対策のために何らかの物を購入せざるを得ないのです。例えば建物などは、私たちが思う「物」とは概念が違うので物には見えていないだけです。けれども、お金持ちは見えにくいだけで、物を買うし持たざるを得ないというのが多くの現状でしょう。

資格を取得するまでも相当大変です。大きな病院の院長でも病院が赤字であり実際は金銭事情が厳しいはずの人もいます。弁護士にしても、高い報酬を受け取れなければ収入は決して多くはなりません。

「頑張りすぎない」ことと「上を目指す意欲」は別物

確かに、「頑張りすぎないで身の丈で質素に暮らす」という生き方もあります。環境に負荷がかかりませんし、無理に周囲に合わせて頑張れない人が頑張ろうとして折れるよりは100万倍マシです。

けれども、本当にそれでいいのだろうか?という疑問も持ち合わせる必要はあります。そもそも、体や心を正常に維持できる行動範囲と、「上を目指す意欲」は全く別物です。ところが昨今は、この二つが混同され同一視されています。それで錯覚を起こしてはいけません。

突き進み、上を目指すのは大変です。失敗するリスクもあります。けれども、現状にあるものの多くは、どこかの誰かが、過去に「もっと良くなりたい」と現状維持にとどまらず工夫し続けた結果です。例えば灌漑(かんがい)設備(農地に外部から水を供給すること。日本では多目的ダムの建設なども・参考/Wikipedia)なども、そうした強い思いがなければ実現しなかったことでしょう。現状に甘んじず、積極的に対策を練り実際に実現していくことは必要です。(ただし、現状では世界的に課題を抱えてはいます。)

自分の性質の見極めが大事

ただし、人の性質には、個人差があります。ガンガン積極的に動き、常に上を目指していくことが自然に出来る人とそうでない人がいます。どちらが良いか悪いかということではなく、それぞれに適した役割があるのです。仮に世の中の人間全員が先頭に立って人をリードしたい人だったら衝突が起きます。

リードする人とされる人。両方の立場の人がいるからうまく回るのです。おそらく、バブル時代あたりは、本来は「リードされる側で心地よい」「そんなに必死に頑張らなくても、ほどほどであれば良い」という本音の人でも全員が高みを目指すような法に誘導されたのです。そのほうが消費が進み潤う人がいるからです。

ところが、最近では、「ほどほどであれば良い」とする人の方向性が強くなっています。今でも積極的に活動したい人はたくさんいるし、実際に動いているのですが、単に見えにくくなっているだけです。

「身の丈にあった暮らし」は本当に自分が望む物か

ではなぜ、最近は「ほどほどであれば良い」という方向性が目立つのでしょうか。それは、そのほうが都合が良い理由がどこかにあるのです。

走るのをやめれば確かに楽です。けれども走らなかった時期は後になっても取り返すことが出来ません。もちろん、選択は自由です。

質素に暮らすこと、リッチに暮らすこと、どちらにも存在意義があります。質素に暮らす人が増えれば、全体の生活コストが下がります。リッチに暮らす人が増えれば、携わる仕事や物の売買で利益を得る人が増えます。つまり質素に暮らすことは出て行くもの、なくなるものを減らすことであり、リッチに暮らすこととは、自分が心地よいだけではなく社会に利益を還元する要素もあるのです。

質素に暮らせば、個人の生活コストが下がります。そのため、収入を得るためにイヤイヤ仕事をする時間を減らせます。同時に環境への負荷を抑えられる可能性があります。

リッチな暮らしにも存在意義がある

一方で、メリットがないと思われるリッチな暮らしですが、実はこちらにもメリットがあります。何より金銭をたくさん持っていれば他者に頭を下げる頻度が減ります。

お金を払って業者を雇えばよいので親戚に頭を下げて何かを「手伝って欲しい」と言わずに済みます。また、住まいを変えたいと思えばすぐに実行に移すことができます。つまり自由です。

他には例えば手の込んだもの、高価な物を買う事でそれを作る人、売る人など誰か他の人が利益を得られます。つまり利益を間接的に他者に分配する面があります。また、リッチな暮らしをすることで、例えば掃除や洗濯、料理などの家事をしないことで、その人が得意な分野に集中して考えたり活躍することができます。

そうしたゆとりが社会全体の問題を解決する糸口に役立てられることもできます。仮に食べ物も手に入れられず、住むところもままならない人は自分が生きることしか考える余裕がありません。利己的という意味や、非難ではありません。それは現象としてやむを得ないということです。そういう意味でもリッチな人の存在は、世の中のためには必要です。

さいごに

物を減らす方向性として「質素に分相応に」「身の丈に合う暮らしをして」「ほどほどで満足できる」などのイメージがあります。けれども物を減らすことと、高みを目指す、目ざなない事は別です。「高み」や「上」とは広い意味での「高み」と「上」です。

物を減らした結果、質素につつましく身の丈で小さく暮らしてもいいし、思い切って何かを初めて大きく動いてもいいのです。

物を減らすことは、経過に過ぎません。減らした後はより持たない暮らしを目指してもいいし、(小さく暮らす)広い意味で大きく暮らすことを目指しても良いのです。

小さく暮らすことは、主に自分を中心とした個人の生活維持だけに重点を置く暮しです。大きく暮らすこととは、無駄に物や資源を消費するという意味ではありません。自分個人だけではなく、他者を含めた多勢の暮らしが真の意味で良くなる暮らしのことです。