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自己啓発本は役に立つ

「自己啓発本」を読んでも変わらないよ!そんな意見をしばしば目にします。けれども、私はそうした意見に異を唱えます。

夏休みは帰省や旅行の移動中、読書に最適な時間があります。電車や高速バスの中で読む本を買いに本社さんに立ち寄る機会も増えますよね。

「何を持って行こう。」

そんなとき、意外や意外。自己啓発本のコーナーに立ち寄ってみませんか?必ず、あなたが気になるタイトルの本があるはずです。

自己啓発本、読んで変われない人が読むのをやめれば

自己啓発本と聞いてどんな印象があるでしょうか。

「読んでも変わらない。」?

確かに「自己啓発本を読んでも行動しなければ変わらない。」という意見に間違いありません。けれども読んでも変われない人が、読む事すらやめてしまえば「読みもしない状態」よりさらなる下降をもたらします。つまり、「最低でも読んだ方が読まないより遙かに意義がある」ということです。

自己啓発本でよく言われることがあります。それは「読んだ直後だけやる気が出るが、しばらくすると元に戻る」ことです。

「しばらくすると当初の熱意が消えてしまう。だから意味がない。」ということのようです。けれども、初めに効果があり、何らかの動機になるのならそれだけでもすごい事です。ところが「続かない」からと言って「意味がない」と安易に切り捨ててしまう事の方が問題です。

確かに人は楽な方へと流れる習性があります。だから、このような現象は当たり前と言えます。同時に「以前と同じ自分」に戻ろうとする傾向があります。それで本を読んでもしばらくすると効果は消えるというわけです。確かに本を一冊読んだくらいでは、まだ効果が薄いかもしれません。

忘れるなら読み続ければいい

なら、読み続ければ良いのです。本を読んだ時だけでも何らかの効果があるなら、それを持続すればいいのです。そのくらいのしつこさがなければ、人は簡単に行動を変えることができません。

何かを学習するときでも「繰り返し」が基本です。自分の行動を変えることも繰り返し意識付けをすることは必要です。

スポーツ選手が繰り返し同じ事をトレーニングすること。変われない人が自己啓発本を繰り返し読むこと。両者は一見して全く違うように思われます。

ですが実は根本的な事は同じです。根本とは繰り返すことです。スポーツ選手は同じ動作を繰り返します。自己啓発本を読む人は概念をたたき込みます。

自己啓発本は気恥ずかしいか

こうした本を読む事は一般に「ちょっと気恥しい事」と思われています。例えば本棚に古典小説が並んでいる様子を友人に見られることは抵抗がないでしょう。ところが自己啓発本が並んでいる様子は「見せたくない」心理が働きます。

「何もしない」状態と「何とかしたい」という思いを形で表したもの。それが例えば自己啓発本だったとしても良いのではないでしょうか。

読んだ直後だけでも気持ちが変わるなら、良いではありませんか。何もしない。つまり自己啓発本すら読まないなら0が0のままで何も変わりません。

けれども0が一時的にでも10や20になり、再び5や3に低下していくとします。ついには元の0になったとします。けれども再び自己啓発本を読み返せばすぐに1や2くらいにはなります。うまくすれば10や20に戻るかもしれません。

松岡修造さんと「エースをねらえ」

数年前、テレビで観た松岡修造さんのお話が印象に残っています。元テニスプレーヤーの松岡修造さんは、現役時代、試合会場にボストンバッグに入れた「エースをねらえ」のコミックを持ち込んでいたそうです。そして試合の合間にそのコミックのページを開き「岡!岡!」と気合いを入れエネルギーを注入しいたといいます。(「岡」とは主人公、岡ひろみのこと)

松岡修造さんにとって、当時の自己啓発本はコミックの「エースをねらえ」だったのです。そのコミックを読んで自分を奮い立たせ、勇気とエネルギーを受け取っていたのです。

もちろん、松岡修造さんが並々ならぬ努力をしていたことに違いはないでしょう。けれども、比重は違えど何かの力となるきっかけを受け取ることは、この方のような場合でも必要としたことなのです。

さいごに

ましてや、一般の人はどうでしょう。何の力もきっかけも得ず、自身の決断だけで続行する。これはかなり厳しい選択です。

自己啓発本を素直に利用すれば良いのです。たとえ一時期でも自分の気持ちが変わるなら、良いではありませんか。仮に気持ちの高揚が消えたら再び読み返せば良いのです。

 

(現行品)