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「で、実家の親はどうするの?」と聞く人たち

出身地の友人知人から来る年賀状、大半のコメントにあるフレーズがあります。それは「いつ帰って来るの?」

という一言です。

また、地元の人たちが顔を合わせると決まって聞かれることもあります。それは、

「親はどうするんだ?」

という質問です。

私にすれば、

「え?まだ、そんなこと気にしていたの?」

という驚きです。

ー必ず地元には戻らなくてはいけない。ー

ー親は必ず同居が当たり前である。ー

もちろん、何も考えていないわけではありません。私達なりの考えがあります。ただ、それを他人に言う必要性も許可が必要なわけでもないだけのことです。

ところが、どうも私たち家族が、何年たっても地元に帰らないことを見過ごせないようです。もちろん、親しみを込めて心配する気持ちで言ってくれてくれるのでしょう。

久し振りに古い友人知人と顔を合わせる機会があると驚くことがあります。それは10年、20年前と話の内容が、ほぼ変わらないことです。

延々と同じような内容が繰り返されるだけです。「変わらない」ことが良い方向に働くことがあります。変わらない必要性も中にはあります。けれども、それではあまりに毎日が退屈で仕方がないだろうな、ということが目に見えるのです。変化のサイクルが目まぐるしい現代にあって、この価値観の変化のなさと同調圧力こそ、私が窮屈で仕方がなかった根源だったのだと改めて気付くのです。

そもそも住む場所は自由に決めていいのです。ところが地元の人たちは私達夫婦と同年代であっても「いずれは地元に戻らなくてはいけない。」そう考える人が圧倒的多数です。

親をどうするか。将来どこに住むのか。地元に戻るか戻らないか。そんなことは本人が決めることです。他人が干渉することではありません。

「親」を持ち出されると、理想通りに側にいてやれていない現実に引き戻されます。すると途端に忘れかけていた罪悪感を抱きます。既に親と同居している質問の主は、ある意味、安全圏です。そうした状態で質問を投げかけます。だから本音が見えます。同時に再度、残念な気持ちになってしまうのです。

こうした質問の根底にあるのは不安でしょう。同時に「自分は責任を持って親元に帰ってきている」という遠まわしの自慢です。

ここで無理をして「いい人」になろうとするから苦しくなるのです。考えてみれば、私が長年感じた息苦しさとは「いずれ地元に帰らなくてはいけない」「親と一緒に暮らさなくてはいけない」ことだったのです。ふたを開ければ実に単純明快なことです。

別に親が苦手だとか嫌いだとか、そういう大それた理由があるわけではありません。あの野口英世は親のいる地元に帰りたくなくて仕方なかったようです。(と私は推測します)世間では「子を思う母親の愛情あふれた手紙」として公開されています。そういう解釈もあっていいでしょう。けれどもあの手紙はまさに「いつ地元に帰るの?」という圧力が入り混じった手紙です。本当に息子のためを思うなら「早く帰ってきてくれ」とは言え(書け)ません。「こっちは心配要らないから、好きなだけいなさい。」と書きます。野口英世はさぞ窮屈だったことでしょう。平凡な主婦が野口英世を同列に例に挙げてはいけないのでしょうが、要はそういうことです。