断捨離に必用なのは「減らす勇気」です。
なぜそう言えるのかをお話します。
断捨離が気になりながら立ち止まってしまう理由がカギです。
断捨離の面倒から回避しがちなのは変化への恐れ
断捨離したい。
本当は、ばくぜんとでも思ったときが始め時です。
「でも、私はどうして断捨離したいんだろう。」
と思いますか。
断捨離は正直手間がかかります。
労力も必要です。
現状維持してしまえば、面倒も手間もないはず。
それでもなぜ、私は断捨離をしたがるのか。
そんな風に自分に疑問を投げかけ、断捨離への行動をためらう理由。
それは
変化への恐れ
そして
手間と労力を避けたい
からなんです。
物を減らしたい。
と、何となくぼんやりと思ったあなたが、本当にやりたいことは何でしょう。
実は
変化
なのです。
変わるとはつまり、プラスへの変化です。
ところがプラスであっても変わることは怖いんです。
だから「なぜ?」という理由を付けて立ち止まってしまうんですね。
まずは行動してみる。たとえ断捨離でも
ここで立ち止まらずに、まずは断捨離をしたいと思った心を逃さないことです。
世間の情報は断捨離のメリットだけを説いているわけではありません。
ときにはデメリットも説いています。
何かを始める前に自分で行動を起こさずデメリットを探してしまうのはなぜでしょう。
それは立ち止まる理由を探しているということです。
断捨離が自分にとってメリットになるかデメリットになるか。
そんなことは、断捨離という行動を起こすことでしか見えません。
断捨離の損を考える人はケチである
何もしないうちから「断捨離で起きるかもしれない損」を考えてしまうのはケチであると同意義です。
何も行動しないうちに、起きるかもしれない失敗を何としても避けたいというのはケチ以外の何ものでもありません。
何か行動を起こせば少なからず失敗をするのは当たり前です。
減らす勇気
けれども、一時は失敗に思えても「塞翁が馬」です。
しかもこうした事は、ある特徴があります。
それは、実際に断捨離をしてみなければ何もわからないという事です。
実際に行動を起こした後にしか見えないことがあるのです。
例えその行動が「物を減らしてみる」といったことでさえもです。
まず、必要なことがあります。
それは物を減らして、「昨日まではあった物がなくても大丈夫だ」と思える「減らす勇気」です。
さいごに
何かを始めることは少なからず恐怖心があります。
それはたとえ物を減らすことであっても、です。
けれども一瞬でも断捨離が脳裏によぎったあなたの本心は変わることを選択しています。
そうしたシグナルに蓋をしてしまうのはせっかくの自分のシグナルを無視することです。
断捨離で物を減らすことは少なからず勇気がいります。
これを実際にやるかやらないか。
これだけでも、あなたが変わる変わらないかの分かれ道です。
それでもまだ、自分から発せられたシグナル「断捨離して物を減らしたい」にフタをし続けますか。