簡単に暮らせ

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役に立たないブログの活用術

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「ブログは役に立つ記事ではないと意味がない。」とよく言われています。でも、「役に立つ」を意識しすぎるのは危険性があります。なぜなら、本当に「役に立つ」ものとは一見して、それとはわからない姿をしているものだからです。

「役に立つ情報」は受け手が決めるもの

確かに何らかの情報を探しているのに「タイトルに惹かれて読んだら見当違いだった。」なんてことはよくあります。そんなときは、また別の情報を探さなければなりません。

例えば「インスタントラーメンの作り方」を探しているのに、「手打ち蕎麦の作り方」の情報を開いてしまったとしましょう。こんな時は一見して「しまった。関係ない情報を開いてしまった。ああ、時間の無駄遣いだった。」と時間を無駄にした気持ちになるかもしれません。

では、一見して役に立たなそうな情報はやはり無用なのでしょうか。実はここに「役に立つ情報」の罠が仕掛けられています。真に有用な情報とは、誰が決めるのでしょう。それは発信する側ではありません。受け手が決めるのです。

一見無関係な情報から得る「気づき」

たまたま誤って開いてしまった情報。これによって、これまで気がつかなかった解釈を得られることがあります。例えば「インスタントラーメンの作り方」だけでは気づけなかったこと。「手打ち蕎麦の作り方」で気づきを得られることがあります。

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これまでは「インスタントラーメン」にばかり意識を向けていたので、商品に添付されている粉末スープを使うことしか意識が向かなかったとします。これは「インスタントラーメン」という狭い範囲でしか「もの」を考えられなくなっている状態です。

ところが一見、無関係に思える「手打ち蕎麦」の概念に意識を広げたとします。そうすると「スープは蕎麦つゆを使ってみる」とか「麺を冷水で洗ってみる」などの発想が生まれるかもしれません。

これが思い込みがあった場合は、別の視点や可能性に気付くことができません。「インスタントラーメンは付属の粉末スープを使うもの」「インスタントラーメンは『作り方』の通りに作るもの」のように、です。意外な発想とは「一見無関係な」「役に立たなさそうなこと」から気づきを得られる事が圧倒的に多いのです。

「気づき」をどうやって得るのか

けれどもここで、ひとつ問題を感じることでしょう。

「一見違うものから新しい気づきを得られることはわかった。けれども『気づき』にそもそも気づけない場合はどうすればいいのか。」

という問題です。これはひたすら意識付け、訓練、習慣づけるしかありません。例えば情報源がテレビしかない場合、発想と気づきがテレビの受け売りにならざるを得ません。「本を買うお金がもったいない」からと、図書館で長い予約待ちを待っている間に興味と新たな発想の気づきがどこかに飛んでいくかもしれません。ネットの情報ならタダだからとそこからだけ得ていたのではグーグルが上位表示した情報、すなわち多数の人がアクセスする人と同じ気づきしか得られることができません。意識して複数の概念と方向性から情報を眺めることが必要です。

「一見役に立ちそうにないこと」にヒントがある

一般に言われる「役に立つ」の意味とは結局、1つの方向性に過ぎません。実際の「役に立つ」とは「一見して役に立たなそうな物」の顔をしているものです。けれどもそこから真の「役に立つ」を発見できるか否かこそが発見です。

ニュートンもアルキメデスも一見無関係な現象から気づきを得た

例えばニュートンはリンゴが木から落ちる様を見て万有引力の法則の概念に気づきを得ました。アルキメデスはお風呂に入っているときにお湯からあふれた水を見てアルキメデスの原理を得ました。

いずれも他人から見れば一見無関係な「役に立たちそうにもないこと」から「役に立つこと」の気づきを得たのです。

「何が役に立つか」それは発信する側ではなく受け手が決めること

つまり真の役に立つヒントほど、一見してそれとはわからない姿をしているということです。そしてそれは誰の目の前にもあり、身近に常に存在しています。

「役に立つ」を気づけるかどうかこそが最も重要なのです。「一見して役に立ちそうにもないこと」から私たちは何を得るか、こそが重要です。

そしてすぐに「役に立つ」事が一瞬でわかるような情報とは、食品で言えばインスタントラーメンに近いものだといえましょう。

真に役に立つ情報とは発信する側が作る物ではないのです。結局は受け取る側にかかっています。