「ハンコって、メンドウだな。」
そう思ったことってありませんか?
私はあります。
やたらと時間がかかるし、手間もハンコそのもののお金もかかります。
常々こう思っていました。
「そもそも、ハンコっていらないよね。」
ハンコって何かとメンドウなんです。
必要性があるなら、やむを得ないのですが、ハンコがなくてもネットバンキングなんかは使えているわけです。
今朝の日経新聞には、次のタイトルで記事が掲載されていました。
「そのハンコ、必要ですか」
「残る慣習 変革の芽摘む」
千葉市では、改革派とされる千葉市長と印鑑業界の方とのやりとりが話題となっていたようです。
合理的なことを進めると、当然関連業者さんからは戸惑いの声が上がります。そうした課題はあるでしょうが、結論としては改革を進めない理由はないはずです。
千葉市長は、押印が必要な書類の見直しをはかったようです。結果として当初は印鑑が必要なのは3,000件だったのに比較して1,000件に減ったそう。あわせて電子申請の準備もすすめているとか。
このような改革が進めば、無駄な待ち時間や「ハンコ忘れの出戻り」などいろいろスムーズになりそう。
私は最近、ハンコに関するやりとりで戸惑いを覚えたばかりでした。最近デビットカードを作ったときのことです。手続き書類は、印鑑押印が必要でした。
印鑑が必要なこと自体は、さほど珍しいことではありません。でも、印鑑って、押印に失敗することってありますよね。
例えば、
一部がかすれてしまったり、
枠からはみ出てしまったり、
さかさまに押してしまったり。
ところが今回はそれが許されません。
このとき、問題になるのはたいていは、一部が欠けた場合や枠からはみ出た場合です。けれども、たいていは押印し直しをして、鮮明に押印されていればそれでOKのケースがほとんどです。
あくまで私がこれまで印鑑を押してきた中ではそんな感じです。
今回の提出書類には、こう注意書きがありました。
以下の〔例〕ような場合は御取り扱いできませんのでご注意ください。
〔御取り扱いできない捺印例〕
- 複数捺印
- 重ね押し
- 不鮮明
- 捺欠
- 修正後再度捺印
- 枠線からのはみ出し
まあ、「お取り扱いできない捺印例」の意図は理解できます。印鑑を正確に判別できなくなるし、不正を予防するためとか、間違いを防ぐためでしょう。
けれども、誰にでも間違いはあります。特に印鑑の押し間違いです。間違えてはいないけれど、一部がかすれてしまったり、欠けてしまうのはよくあることです。
ところが困ったことに、「修正後再度捺印はNO」と書いてあるのです。つまり、押印に失敗したら、もう一度書類を取り寄せてやり直しです。
今回の書類は簡易書留で送られてくるんです。これは印鑑を押すのに失敗したらまた手間と時間がかかるわけです。
もし、そうなったら、もうメンドウでカード作成そのものをあきらめそう。
余談ですが、この書類は三つ折りで送られてきたのですが、押印する場所にしっかり折り目がついていました。
さんざん「あれはダメ、これもダメ」と言っておきながら「さあ、ここに押印しなさい。」という肝心の押印枠の範囲が、これで4分の1ほど減らされているも同じ。
つまりは押印に失敗して枠からはみ出すか、一部が欠けてしまう確率が一段と高まるのです。これは緊張します。幸いに無事に押印は成功しましたが。
印鑑って、本人確認の意味で不正使用されないためにはある程度必要なのかもしれません。
けれども実態は「本当に必要性があるのかどうかが、よくわからない。」と感じることが多いのです。
既にネットバンキングは、印鑑そのものがなくても、問題なく使えていますし。簡易書留を受け取った時に「ハンコお願いします。」と言われて押すのはシャチハタです。サインの時もあります。
シャチハタなんて、100均でも売っているから、どこにでも同じ物が売られています。
きちんとした印鑑も、同じ物は作ろうと思えば作れてしまうでしょう。
なお一層、印鑑の存在意義は
「どこまで必要なのかよくわからない。」
と思うこの頃です。
もっと言えば、私は「いらない。」と考えます。
印鑑がなくなれば、不正やトラブルが増えるのでしょうか?けれども外国は印鑑がなくても社会が成り立っています。
結局のところは
- 習慣が勝っているだけなのではないか?
- 印鑑の手間がなくなれば、スムーズになることの方が多いのではないか?
と思いますね。