今朝の日経新聞では、インド生まれ15歳の天才少年の話題が掲載されています。タンメイ・バクシ君は11歳で米IBMのAIワトソンの開発に加わったそうです。
ワトソン(英語: Watson)は、IBMが開発した質問応答システム・意思決定支援システムである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バクシ君は、学校に通わずカナダ自宅地下室でプログラミングに黙々と取り組んでいるそうです。
バクシ君は教育ツールの開発を進めているそうです。目指すのは
徹底的に個人に最適化した学校
だそうです。
外国では、このような動きがありますが、日本はまだ学校の形式は依然として固定されたままです。けれども一部の人たちは新たな意識と実行に移行しようとしているようです。
工業化に適した人材づくりは意味がなくなる(立命館アジア太平洋大学学長出口氏)
という学長、
20年4月開校を目指す軽井沢風越学園(従来の形式にとらわれない3歳から15歳の子供が学ぶ)
など画期的な教育機関が出来るなど既に対策を実行に移す方もいます。
そもそも現在の学校って「年齢が同じ」とか「住んでいる場所が近い」というだけの理由で一緒に集められた機関です。
確かに従来であればそれでも、必要最小限の学習が可能でした。一方で一部の優秀な子供でも皆に合わせなければいけません。例えば堀江貴文氏などはその典型例でしょう。また、そもそも「優秀」の意義すら固定された概念で統一されています。
先ほど挙げた風越学園では学年や時間割にこだわらないそうです。現在の学校では全ての科目をまんべんなく修得することが求められます。
それではAIと人の能力に差別化ができなくなります。AIに危機感をもつ人は多いのですが一方でAIも現状では万能ではありません。AIが苦手で人が得意なこともあります。例えばそのひとつが「間違えること」です。
だいぶ前に読んだ本ですが、 忘却の整理学 という本にそうした話が載っていました。一見忘れることは良くないと思われがちだし、ましてや間違えることは持ってのほかという意識があります。ですが忘れる事や間違えることこそ個性があり人にしかできないことだと著書では語られています。
まさにAIと共存していくこれからの時代、人にしかできない個性を最大に活かすことが重要になるというわけですね。