そのときは満足した気がするけれど、なぜか充実感がない。何度服や小物を買い替えてお話題のカフェやレストランに行っても満足できない。
「いったいどうして?」
そんな風にモヤモヤしている方に真の理由をお話します。
また、じゃ、どうすればそのモヤモヤを消すことができるのか、もついてもお話します。
期待しすぎが落胆を産む
結論を言えば、モヤモヤの理由は「期待しすぎていること」が原因です。
新しく服を買う事もバッグや靴を買う事も、自分の行動です。ですがその行動のきっかけはなんでしょうか。
モヤモヤがしょっちゅうある方の場合は・・
洋服はその時期になると一斉に似たようなデザインの服が出回ります。それは業界がそのように仕掛けているのですから、やむを得ません。
ところが洋服を買う前に「新しく服を買って全てが素敵に回る自分」を期待しすぎているのです。
話題のカフェやレストランも、オーナー側の採算を考えればどうしたってある一定以上のクォリティになるのは難しいものです。
だからどこに行っても、よく見れば出てくるメニューの素材は似たようなもので原価の低い小麦粉メインのものにならざるを得ません。
ところが行く前に口コミや画像を見て「素敵な場所で美味しいはず」と期待を膨らませ過ぎなんですね。
期待し過ぎなければ些細なことも楽しめる
こんな風に書くと、私は洋服を買ったりカフェやレストランに行くことを楽しんでいないかに読めるかもしれません。
全くそんなことはないんです。私はユニクロでもジーユー、無印を見るのは好きです。もちろん買い物もします。
カフェやレストランで食事をしたりお茶をするのも大好きです。
ですが「しょせんは、どこも大差ない。」ことを承知して出向いています。
もちろん、それぞれの企業さんもスタッフさんも限られた予算と人員で良くして下さることを承知しています。
そのうえであえて一言付け加えるのですが、一般的な料金で得られる見返りは限界があるのは当たり前なのです。つまり全て想定内なのです。
それでも自分で一から服を作ることはできないですし、都内の良い場所に清潔で雰囲気の良いお茶を飲んで一息できるところを自力で何か所も用意することはできません。
だからどんなところであっても、有り難いし、なくてはならない存在です。
もちろん、その中でたまたま運よく、価格の割に当たりだったとします。その場合は運が良かっただけのこと。素直に有り難く受け止めます。
期待以上でも喜びすぎない・心はニュートラルに
けれども、実はここからが肝心な事です。たまたま運よく予想に反して期待以上だったとしても、決して喜びすぎないことです。
一方で、想定を下回ったとしても、悔しがったり残念がったりしないこと、つまりは落胆しないことです。
喜びすぎもせず、落胆もしない。常に自分の気持ちはニュートラルに保つように心がけていればいい。
外部から受けた刺激によって、簡単に心が上下しないようにすることが秘訣です。
新しく服を買ったとしても、布一枚で世界が変わることはあり得ません。なんといっても、それをまとうのは自分です。
カフェレストランも一般的な価格帯の場所であれば、採算を考慮すれば極端に当たりだということは考えにくいわけです。
そしてこれらは、いずれも自分ではないどこかの誰かが生み出してくれたものであると同時に、「世間一般にありがちなもの、こと」である事実を、見て見ぬふりをしない方がいいのです。
喜びは最小限に、落胆はなかったことにする
予想に反して意外に良かったら、ちょっとだけ喜んでみる。万が一予想より下回ったならば自分が気付かなかった良いところを探してみればいいんです。
例えば初めて行ったカフェで、「いまひとつかな」と感じたとします。そんな時でも楽しむ事はできるんです。つまり落胆はなかったことにするんです。
「いまひとつ」の事例を笑いの要素として楽しんでしまえばいいんです。例えばですが
料理が出てくるのが遅かったとします。そういう時は、こう考えればいい。
「このお店は長く滞在してもOKってことなんだ。太っ腹。」
とか。
料理がいまいちだったとします。
「上げ膳据え膳で洗い物しなくていいって幸せ。」
などです。
まとめ
- 新しく服を買ったりお出かけ先で満足できないと、つい落胆しがちだと思います。
- 服を何度買い直しても、話題のカフェやレストランが期待外れで落胆してばかりなのは、期待しすぎが原因です。
- 反対に、予想に反して期待以上でも喜びすぎない習慣が大事です。一方で期待以下でも落胆しない習慣も大事です。
- このように期待せず落胆もしないことは、心をニュートラルに保つということです。
- 外部からの刺激で心がかき乱されないようにするのです。
このようにしていれば、ちょっとだけ期待以上だったときには、それだけでも有り難く満足することができます。