私は初対面から惹きつけられる人というのは、やはりおしゃれな人だと思っている。言いかえると、おしゃれではない人に魅力的な人などいないと思っている。
ファッション雑誌のコピーを見るまでもなく、おしゃれとはその人の生き方と深く結びついている。外見はその人そのものなのだ。
この個所を読んでいた時、私は電車に乗っていました。そして、ためらうことなく本のページの上を三角に折り曲げていました。
この文は、林真理子さんの著書の一文です。
本来、私は本を汚すことが苦手な性分です。その本は自分の本ですから、その個所は後から探すことができます。けれども、その時すぐに本に印をつけなかったがために「忘れること」を恐れたのです。
私は最近、自身のブログで割とこう、発言していました。
「服にエネルギーを注ぐのはほどほどでいい。」
もちろん、ある程度は試行錯誤をしているし、流行をおざなりにして良いとは思いません。けれども、そういう考えは改めないといけない。それは生き方を捨てるも同じ。そう、気付いたのです。
林真理子さんも、以前はこう思っていたそうです。
どんな格好をしていたって、中身がちゃんと情報を持っていればいい。
ですが、今はこう考えるそうです。
このトシになってみると、それが間違いだとはっきりわかる。中身は外見。外見は中身なのだ。
確かに、そうです。服装を整え、髪の毛や肌、持ち物に至るまで自分の外見を整えることは、まさに生き方の集大成。
年齢が上になればどうしたって、こうしたことに手抜きをすれば、それが嫌でも外見に現れます。
外見がおざなりである人は、中身も立ち居振る舞いや表情にも連動している。
おばさんたちのグループが、端から見ていてどんよりとした印象を与えるのは、みんな黒やグレイ、茶色を着て、ぼんやりとした長いスカートをはいているからだ。
黒、グレイ、茶色、半端な丈の服。
ただでさえ、存在がどんよりしてしまう年齢なのに、それを客観視することもしないでどんよりした身のこなしをすれば、おしゃれとは全く縁遠くなってしまうのは当然と言えます。
私もついつい、「着まわせる」「目立たない」を意識してぼんやりした色を選びがちです。
ああ、これではいけない。危ない危ない。
電車のどんよりとしたこもった空気。うとうとと居眠りをしかけていました。だけどドアがパッと開いたものだから目が覚めました。