この本を知っている方はどのくらい、いるでしょうか。
3年前のミニマリストブームの折、(2016年頃)かいわいでは話題になっていたようです。
この本の初版は2010年12月です。
今から9年前です。
今は違う出版社さんから文庫で出ているようです。
私がこの本を発見したのは、書店の棚に並んだ背表紙を眺めていたときでした。
ひっそりと棚に並んでいたこの本、ピンときてレジに向かいました。
当時はまだ、ミニマリストという言葉はなく、断捨離という言葉がブームになっていた時期です。
実際、本の帯にこう書かれています。
捨てずにはいられない、超『断捨離』の世界
と。
つまり、当時の価値観では、物を極限まで減らすという概念すらなかったのです。
もっとも、実際にはものを減らす概念がないのではなく、お寺などに行けば、「何もない最小限の物で暮らす」世界は存在します。
ただ、それはあくまで一般社会とは切り離された空間です。もちろん、つながりはあるのですが、私たちは無意識にお寺的世界と、一般社会の生活空間は分けて認識している節があります。
この本の著者は、シュールな世界観の漫画を描いています。
そうした世界観と、実際の生活がリンクしているかのようです。
この本を初めて読んだ時は気付かなかったのですが、あるときたまたま、この作品を読みました。
すると「もたない男」の世界観と共通する空気を放った作品を見つけました。
「退屈な部屋」という作品です。
中崎タツヤ氏の「もたない男」も、つげ義春の「退屈な部屋」の住人の男も、共通していることがあります。
それは「自分が望むからそうしているだけ。」ということです。
「もたない男」にもありますが、もたない暮らしをしているのは、主義主張ではないとのこと。だからどちらも淡々暮らしが流れていきます。
結果として「何も持たない部屋」に両者ともに暮らしているわけですが、そうしたことを他者にすすめることも、「こうしたほうがいい」とアドバイスすることも、「だからあなたはうまくいかない」と主張することもない。
もっとも、スッキリした暮らしをメリットと考え、「アドバイスしてほしい」と願う人が増えているのは確かでしょう。
けれどもおそらく、中崎タツヤ氏も、「退屈な部屋」の住人も、自分の暮らしを他者に模倣して欲しいとは微塵も思っていなさそうです。
そうした点が、この本と最近のミニマリスト志向の発信をする人たちとのちょっとした違いです。
もちろん、ミニマリスト志向の人がその内容を発信しているからと言って、それを他者に押し付けているわけではありません。
また、今回、この本を再読して今さら気付いたことがあります。
それは、この本出版当時、著者が既に50代を過ぎていたことです。何度か目を通したはずなのに、この点を見過ごしていました。
ではなぜ、今になって気付いたのでしょうか。それはおそらく、自分も50代に突入したからです。
「自分が妊婦になると、急に街に妊婦が増える」現象と同じですね。
「もたない」暮らしは、40代になったばかりだった当時と比較して、受け止める内容に変化がある。
数年後、再びこの本を読み返した時、また違う発見をすることでしょう。
この本の過去記事はこちら
3年前に書いた感想です。