季節が変わっているので、洋服の断捨離をやっている方も多いはず。
でも、最後の「ゴミ袋に入れる」ことができなくて困っていませんか?
私もしょっちゅうあります。
そういう行動と気持ちって、「よくないこと」みたいに思っていませんか?
いいえ、そんなことはありません。
理屈では捨てていいはずの服を即、ゴミ袋に入れる気になれないのは、自然なことです。
👚断捨離する服って
— ちゃくま@簡単に暮らせ (@chakuma_kurase) 2019年11月19日
即、捨てるのは
罪悪感が沸くんですよね
つい先日まで
頻繁に着ていた服を
捨てると決めたときもそう
そういう時は
しばらく休ませてから
捨てることにしています
おそらく
自分の分身を捨てるような
感じがするから
気が引けるのかと#一日一捨#断捨離#ミニマリスト
特に、女性はそんな傾向が大きいかもしれません。
なぜかと言えば、女性は「同情回路」が男性に比べて大きく働いている可能性が大きいからです。
それは捨てる服を人間にみたててしまい、捨てられることに「同情」してしまうからです。
または、捨てられる服を自分に投影してしまう。服と着ている体は密接です。だから物というよりも自分の一部のような気がしてしまうんですね。
でも、そういう思いで「捨てられない」理由をうまく言語化できないわけです。それよりも世間の風潮である「捨ててすっきりしよう」という理論めいた主張の方が強い。
そして言語化できないことを「もやもや」で片づけてしまうのです。
若い世代は言語化できない自分の気持ちを「やばい」とか「すごい」で何でもくくってしまう傾向にあります。
一方で、主婦世代は「もやもや」で片づけてしまおうとする傾向が見られます。この場合、「もやもや」ではなく、具体的に理由をひもとけば、そこには言語化可能な理由はあるのです。
今回の場合、捨てるが妥当と分かっていても捨てられないのは自然な気持ちの流れだと自分をみとめてあげましょう。
そのうえで、この問題は、時間を活用すれば解決します。
捨てる服をすぐに捨てるのではなく、しばらく寝かせてから捨てるのです。
その期間は「自分の気持ちが落ち着くまで」です。
例えば私の場合、自分の服でも家族の服でも、自分が納得できるまでしばらく「寝かせ」ます。
適当な袋に入れて、気が済むまでただ、置いておきます。
それは長年(短期間でも)自分たちに寄り添ってくれた服への感謝とお礼の意味も込めています。
よく着た服や、長く着た服ほど「寝かせる」期間は長くなります。
こうした気持ちを優柔不断などと思うことはありません。要は自分がどう感じるか、が大事なのですから。