スマホ依存という言葉があります。要は、スマホに限らずデジタル媒体を使うのではなく「使われている状態」になる事に注意が必要なわけですね。
に関する記事を書いたのですが、そもそもなぜ、デジタルものから距離を置かなければならないか、についてを意識する必要があります。
はてなブログに投稿しました #はてなブログ #書評 #ミニマリスト #デジタルデトックス #簡単に暮らせ
— ちゃくま@簡単に暮らせ (@chakuma_kurase) 2019年11月30日
主体性を手放さないで生きよう。『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する /著/カル・ニューポート』書籍感想 書…https://t.co/xS6hlfZhjg
例えばスマホはアクセスが簡単ですよね。パソコンみたいに立ち上げる必要がないし、どこにでも持ち歩けます。
けれども、その利便性が「常にアクセスしないと不安」という方向性に変わっていることに気付かないと反対に危険が伴うということです。
例の書籍にもあるように、「何か重要な情報を見落としているかもしれない」というある種の恐怖から情報を得ようとしているのかもしれません。
私も同様に、注意しないと延々とネット閲覧のスパイラルにはまる危険は常にあります。
そこで注意しているのは使い方を決めることです。具体的には次のように決めています。
- 通販サイト閲覧
- メールチェック
- 動画閲覧
は、夕方以降に行うことです。
上記に挙げたアクションは、重要度が低いという共通点があります。(各自によって重要度の順位は変わります。)
なぜ、これらを夕方以降に行うかというと、夕方は頭が疲れて来ているので思考力が低下している時間帯だからなんです。
夕方以降は頭の回転が鈍いので、効率が悪く、重要度が低いことをあてます。
次に注意しているのは、デジタル媒体を扱うときは、なるべくまとめて作業することです。
上記とかぶりますが、ネット閲覧やメールチェックをその都度行わずに、
まとめて決めた時間帯に作業します。
やるべきことを細切れに行っていると、稼働する初期のエネルギーが必要ですからトータルで効率が悪くなります。
例えば冬に車を出そうとすると、エンジンを温めるために少し作動させてから運転を開始したりすると思います。
朝昼晩の3回、車を出して運転するとその都度エンジンを温めなくてはなりません。けれども用事を一回にまとめれば、エンジン作動させるのは1回で済みます。デジタル媒体を扱うときも、要は同じというわけです。
また、最近、新たに使い始めたアップルウォッチは、腕に装着するので、下手をすると充電中以外はずっと身に着け、閲覧が可能です。
けれども私の場合、あえてずっと身に着けることはしていません。外出時と室内ウォーキングの合間だけに限っています。
もちろんずっと装着すれば「そろそろ立ち上がりましょう」とか「そろそろ深呼吸しましょう」とか「今日はこの位動いた」というような自分では気が付かないデータをとることができます。呼吸をチェックして危険を知らせることもできます。
けれども、「そろそろ立ち上がろう」というようなことは、知らされるより前に自分が気が付くべきだし、深呼吸も同様です。
呼吸チェックは、普段それを目的に装着していた場合、「装着しないと不安」になる「保険を解約できない不安」同様になると考えました。(もちろん、扱い方は各自の状況によって判断が変わります。それが不可欠な人にとってはこの限りではありません。)
デジタル媒体は一見、テクノロジーの進化と同時進行しているかに見えます。確かにどんどん画期的な新製品が販売されている様子は、その傾向があります。
いっぽうで、本来人がもつ判断能力や主体性が失われつつある危険に気付かず使っている人も多いわけです。
確かに便利な事は良い事です。ですが便利に依存すると気が付いたときには自分で判断できない事態になる危険があります。そうなった場合、実は便利を通り越し、自分がデジタル媒体に操られていた・・なんてことになってからでは遅いのです。
だからこそデジタル媒体を扱う時には、目的と使う意味をよく考えて開始したほうがいいですね。
そして常に主体性が自分にあることを手放さないことを意識したいものですね。