物を捨てる時って、実は物を見ない方がいいんですよね。
同時に物を買うときはワクワクしますが、捨てる作業もまた、つかれる反面おもろい。
減らすことは頭脳を駆使する
物を増やすより減らす過程の方が工夫し甲斐があっておもしろい。
— ちゃくま@簡単に暮らせ/ミニマリスト志向 (@chakuma_kurase) 2020年7月20日
3つに分かれていた物を、1つで済むようにするには?
→これとこれの用途は同じだから1つで済む
↓
ダブっていた要素の2つを手放して1つを残す
↓
繰り返し
の積み重ねで物は減らせます。
減らしたり捨てありきじゃなく#ミニマリスト
買う楽しみは単純で持続しない
買う楽しみは単純です。第一、お店の人からちやほやされるし、物欲が満たされることもあり、うれしくなります。でも買った直後に物欲が満たされる気持ちって、長続きしないんですよね。
たとえば、ワンピースを買うとします。デザイン、色、値段、ブランドなど選択肢がいろいろあります。買う時には当然、迷ったり悩んだりします。ようやく決心して、満足できたとします。ところがひと月もすると、買った時のワクワクもうれしさも消えています。
こんな調子なので、買い物は楽しいけれどうれしさが長続きしません。同時に財布からお金が出ていくというおまけつきです。
物を減らすときは物自体を見ない
いっぽうで、物を捨てたり減らしたりすることは、工夫し甲斐があります。もっと言うと頭脳を使います。
捨てたり減らすとき、物自体を見てもあまり意味はないんです。物を見ないで「何に使うものか」という背景を見た方がすんなりいきます。つまりは何に使っているのかという用途ですね。
たとえば、筆記具を減らそうとするとき、単に
「使っている、使っていない」
ではなくて
「何のために使っているのか?」
を確認します。
たとえば、メモ書き用に使っているのか、大事な書類に書くための筆記具なのか、でも用途は変わります。
用途に着目するとダブりがわかる
物自体ではなくて、用途に注目すると、2つのモノが1つで済むとわかることもあります。つまりはダブっているモノです。
たとえば、洋服なら、自宅で掃除をする服と、子供の運動会に着ていく服は同じでもかまわないかもしれませんよね。ママ友ランチに着ていく服は、通勤着があればそれと併用できるかもしれませんよね。
用途別にそろえる必要はない
ところが用途別に「全部必要」だと判断してしまうとすぐにモノが増えます。便利グッズというのは、今あるモノで足りている同じ目的を持つ用途のモノです。ところが「便利」という付加価値が加わるので、「必要かもしれない」と錯覚を抱いてつい買ってしまうのです。
けれども「これは結局、あれと同じ用途のモノだな。」と気付くことができれば、買わずに済みます。仮に捨て作業をしているならば、便利グッズのスライサーは包丁で足りるので「なくてもいいかも」と捨てることもできます。ボウルを買わなくても、鍋やどんぶりで代用できたりもしますね。
さいごに
ひとつひとつの物を見て
「これはいる」
「これはいらない」
と判断するよりも
「この用途はなんだろう?」
と何に使うものかに目を向ければ代用可能な物が見えてきますね。
そうすると、どんどん物が減らせるようになっていきます。