今日は久しぶりに捨て作業をしました。カップボード内部から要らない本がたくさん出ました。今回は片付けを通して考えたHSPという傾向についても触れます。
片付けとHSP
物がたくさんあると、雑多な情報が目から飛び込んできます。こうした状態が苦手なのは、HSPといって繊細で敏感な傾向がある人の特性だそうです。
言われてみれば確かに、私は一気にいろんな情報が飛び込んでくる状態が苦手です。それはすっきりした空間が好きとか、一人が好きというわけではありません。一定時間以上、他の人と同じ空間にいると疲れて来ます。
また、しまむらみたいな雑多なお店に行くと軽い頭痛がしてきます。そのモノが悪いわけでも嫌いなわけでもありません。ただ、多様な情報にさらされると脳が疲れるイメージです。
ミニマリストの人は、このHSPの傾向の人が多いとも言われています。一方で、私はHSPという傾向を過剰に受け入れ過ぎて自分をカテゴライズしすぎる必要もないと思っています。
「ああ、自分はこういう傾向と考え方の癖があるんだな」
ということを把握していれば十分ではないかと思います。
見慣れた光景のカップボードが雑多に感じる
ふと、見慣れた光景のリビングにあるカップボードが目に入りました。私の現在の手持ちの本は、そのカップボードの棚2段に収まるだけと決めています。
実際は、収まっていなくて段ボール1つ分、余分にありました。カップボードの幅は120cmです。
カントリーブームだった末期に買ったもの。その上段に本棚にちょうどいい棚が付いています。
2段あるので、結構な量の本を収納できます。先日、段ボール1箱分をリサイクルに出したばかりです。
ところがそもそも、その棚にある全てがわずらわしく感じました。視界に入る物の情報がうるさいのです。
つまりはこの場合は本です。最近は電子書籍をメインに買うようになりました。
ですので最近新しく買った紙の本はありません。最後に紙の本を買ったのはいつだったでしょう?Kindle Unlimitedでは紙の本で普通に店頭に並ぶ本が定額料金に含まれています。(全ての本が対象ではないけど)
4,5か月前でしょうか。ということは今、並んでいる本は「そのうち読むかも」という本ばかりです。実際は何となく並べているだけです。そこで今度はカップボードの中を開けてみました。
扉が3枚あって、そのうち2枚分の中には主に保管系の紙書類が収納してあります。
トリセツとか、
ファイルに保管した家計簿関連とか、
確定申告の書類などです。
トリセツのファイルは我が家の家電類のほか、住まいの設備関連のファイルもあります。こちらは捨てることはできません。
確定申告の書類も捨てられません。捨てられる書類はほとんどないことに小さな絶望を感じました。
しばらく開けていない扉の中に捨てる本があった
(カップボード下の右には雑誌系の本が詰め込んでありました。その本はもう読み返さないと判断。撤去したので空いたところに保管系書類を移動させました)
ところがもう一枚の扉を開けて「あっ」と思いました。ここには捨てるべき雑誌系本があったのです。
出してみるとコロナの影響で世の中が変わるので、ほぼ役に立たない情報と化した本ばかりに様変わりしていました。
コロナの影響は、情報の古さまでも加速させていたのです。その棚に収納された本は9割が捨てるべき本でした。
リサイクルに出しても値はつかないであろう本なので、処分することにしました。いったん全部出し、雑巾で拭いて乾かしてから入れ替えをしました。
結果として残すことにした棚の上の本は、縦に平置きにしつつ扉の中へ。結果、棚の上に残した本はあとで読み返す予定の3冊の本だけが残りました。
これからは現在に引き続き電子書籍を買います。多分私の場合、紙の本を買うのは書店に行ったときだけにになるでしょう。
ふと思いついて始めたカップボードの片付けですが、収まっていた物を移動させたら一時とんでもない光景が広がりました。結構な量の本や紙書類が入っていました。
とりあえず今日はここまでにしましたが、次回はさらにファイルの中の捨て作業をします。
HSPの傾向がある人は雑多な空間が苦手
とりあえずは、すっきりの前進が出来たので良かったと思います。「とりあえず」という言葉はHSPの傾向がある人にとって有用な言葉らしいです。
結局、棚の上はスッキリして視界に入る情報をかなり減らせました。HSPの傾向がある身としては視界から雑多な情報が目に入らなくなったので落ち着く空間が増えました。
ミニマリスト志向の人は、HSPの傾向があると言われています。一気に多様な情報が入ることが苦手で混乱することがあるらしいです。
私もそういわれてみれば、HSPの傾向が大きいと思います。物を減らしてスッキリしたいのも、考えてみれば視界に雑多な情報が入り混乱するのが苦手なのです。
実はそのカップボードも、実はデザインが苦手でした。カーブのある上棚や背板の棚板が雑多に感じて情報のノイズを感じます。(ならなぜ買った?と言われそうですが)
苦手でも使い続ける理由
使い勝手自体は上々なので、何となく使い続けています。品質も申し分なくて、10年くらいたちますがどこにも不具合はありません。
「デザインが気に入らない」という理由で、買い替えてしまうのも悪い気がします。だから使い続けています。何に対して「悪いな」と思うかと言えば、カップボードそのものに対してと、夫に対して、です。
物に対しても失礼だと思うし、購入は夫の働きによるものなので、「申し訳ない」という思いがあります。
考え方のクセと知ってモノと向き合う
こういう思考サイクルこそが、HSPらしいということになるのでしょうか。まあもっとも、こういう考え方のクセがあることを把握しておくというのは大事だと思います。
HSPという傾向は、5人に1人という事ですが、これって結構多いですよね?日本人は多かれ少なかれこの傾向があるのではないでしょうか。
人は自分をカテゴライズしたがる
ただし、だからと言って、そうしたくくりに自らハマりきる必要もありません。誰しもある意味では、自分の傾向をカテゴライズしたがるものです。占いもそう。
一方でだからと言って、私は「〇○だから」という枠に収まりきらなくてもいい。そういう傾向があることを知った上で、行動を臨機応変に見極めればいい。
繊細でいたくてもいられないとき
たとえば中高生なら誰でも自意識過剰だったり、うまく他人をかわせなくて大きく悩みます。ですが例えば大人になって子供がいたりすると、「繊細です。」とか言ってられる場合じゃない場面が多々あります。
大阪のおばちゃんなんかもなんか、初めから図々しかったわけじゃないと思うのです。いろんな場面にあい、「言ってられる場合じゃない」場をくぐり抜けてきたから図々しくなれたと思うんです。
繊細でいられるというのはある意味、恵まれていること。繊細でいたくてもいられない場面を通り抜けるうちに、「気が付いたらおばちゃんになっている」ということかもです。
片付けはエネルギーがいる
話がそれました。
本当はもっと、すっきりしたデザインの家具に替えたいと思っていました。けれどもまた、大物家具の買い替えはエネルギーを消耗します。
本当は3年前の引っ越し時が入れ替えのチャンスでしたが、当時は退院間もない頃で、そこまでする気力がありませんでした。物を減らすにもエネルギーがいるのです。
カップボードの中身を減らす気になったのも、やっと少し気持ちに余裕ができたということでしょう。
さいごに
今回の片付けで出たごみは段ボールに換算すると1~2個分あります。「絶対必要」と思っていた持ち物もほとんどが実はゴミなのかもしれません。
買い替えについては、いつになるかわかりませんが次回の引っ越しの時期になることでしょう。
(最近、地震が多いですが2011年の震度5強の地震では幸い、棚は動きませんでした。
一応耐震用の細かいグッズをかませてはあります。)
カップボードの上棚と下の境目にこういうグッズを挟んでいます。
下の棚の全面には、これをかませています。