AIについて、「結局、私たちにとって、いいの?悪いの?どっち?」
これまでは、その程度の意識しかなかったのではないでしょうか。
「仕事を奪われる」っていうけど、「まだ、大丈夫でしょ。」という楽観的な考え。
一方で、
「AIが本格的に参入されたら、仕事がなくなる。そしたら、どうやって食べていけばいいの?」
という悲観的な考え。
今回は、
- 結局のところ、AIがどういうことをもたらすのか。
- 「教科書が読めない・子ども」とAIが同関連する話なのか。
そうした疑問を抱きながら、この本の著者のお話をじっくり聞いて(読んで)みることにしました。
【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち
ちなみにですが、著者は2017年にTEDで発言をしています。
内容は、今回紹介する本のダイジェスト版という感じです。ですので、エッセンスはつかめると思います。
あくまで概要ではありますが、これを観るだけでも危機感を抱くはずです。
この本を読んでわかったことがあります。AIの存在に、「楽観視できない。」ことです。もっとも、危機感の原因はAIにあるのではありません。人にあるのです。
一方で、実はAIができること、できないこと、については、想像していたこととはかなり違うことがわかりました。
これまで、私の場合は憶測のイメージだけが先行していました。AIに対して過剰な期待をしていたし、万能であるかのような想像をしていたのです。
例えば、「AIの技術が進化すれば、人間同様に、またはそれ以上に物事を判断したり理解したりする」のだと思っていました。
ところが実は、AIには「できることとできないこと」があったのです。結局のところ、AIがやっているのは計算なのだそうです。それによって回答を出しているに過ぎないのです。
また、AIは意味を理解できない。けれども、統計などを駆使するなどで、理解しているかのように回答を出せるのだそうです。
ここまで話を聞くと(読むと)
「な~んだ。じゃあ、意味が分かる私たちの方が上ね。」
と思ってしまいがちです。
ところが、それこそが問題らしいのです。
というのも、(意味を理解しているかのように作動させた結果)AIは東大には合格できないけれども、MACHIクラスの大学には合格できる結果を出したそうなのです。
当然ながら、国内ではMACHIに合格できない人の方が多いわけです。となると必然的に人は「AIにはできて人にはできない」ことがあることになります。
そして重要なのは、「AIにできてAIにできないこと」です。AIは意味を理解
【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち
しないということが最大の弱点です。だから意味を理解することこそが、AIにとってかわられない最後の砦(とりで)であるわけです。
ところが、国内の学校や大学で調査のために問題を解いてもらったところ、結果は散々なものだったらしいのです。
つまり、かなりの割合の子どもが、AI以下の結果を出したのです。具体的に散々な結果であった分野は読解力です。
実際に本書にはいくつか調査に使われた問題が掲載されています。その正答率を見て、私も驚きました。
なぜ、「この問題の解答がこれだと考えるのだろう」そう驚いた時、少し思い当たる状況が浮かびました。
それはいわゆる「炎上」です。それらの場合、かなりの割合で、文章をきちんと読んでいないことが発端になっている例がよく見受けられます。
なぜ、そうした現象が起きるのかというと、「それは文章を読んでいるようで読んでいないから」です。
そのような場合多くは、文章の単語を拾い読みしているに過ぎない。そして単語を拾い読みした後、自分の推測で文章を作ってしまっているのです。
実際に、試験問題でも、生徒がキーワードを拾い読みしているだけで、意味を理解していない例がしばしばあるらしいのです。
けれども、このような読み方は、私も注意しなければならないと思いました。そしてつい、やってしまうのが、いわゆる「速読」です。本を早く読もうとするあまり、実はキーワードを拾い読みしているだけのような読み方をしてしまうことが、時折、私にも思い当たることがあります。
このような読み方は、結局、せっかく本を読んでも自分の解釈で読んだ気になっているだけです。これからは極力、熟読する読み方が大事だと思いました。
また、この本の文章は、AIにたずさわっている方が書いただけあり、文章のお手本のようなハイレベルなものです。ハイレベルなので、非常にわかりやすく無駄がないのです。
当然ながら一言一句熟読しました。実際にこの本は速読できるタイプの本ではありません。一言一句でも読み飛ばしたら、まるで意味がわからなくなるからです。
最近、よく言わていることがあります。それは「文章の上手下手は関係ない。」という主張です。確かにエッセイや小説のようなものは、そういう見方もあります。
けれども私は、おもしろさというものは正確な土台となるものがあって、初めて活きてくるものだと思っています。
例えば天才ピアニストと呼ばれるピアニストが奏でるピアノに感動するのは、確固たる確かなゆるぎない基礎体力ともいうべき技量があるからです。
文章もそれと同じだと思っています。夏目漱石の文章が時代を超えて読まれ続けるのは、基礎体力ともいうべき土台の文章という骨格にゆるぎないものがあるからです。
AIを開発するには、言葉という物を正確に扱えなくてはいけないはずです。だからこそこの本の著者の文章は教科書のようなゆるぎない正確なものです。そして難しい話もわかりやすい。
子どもの読解力のなさは、大人の問題にもそのままあてはまることでしょう。
AI自体に多大な能力があるわけではなく、まだまだ人間の方がAIを上回る能力はある。けれども実際には、AIは一定の段階までは到達でいている。ということは、今後ますます人の仕事は、AIにとってかわられるということです。仕事というとまだ個人的な問題みたいですが、そんな小さい範囲の問題ではないわけです。そこが大きい。
同時に、日本の教育の在り方の基本は丸暗記が中心であるわけです。丸暗記はAIが得意とするものなのです。一方で意味を熟考するようなAIができない分野についての教育はおざなりにされているということですね。
こうしたことを改善していかないと、日本の未来は散々たるものになる可能性がありますね。これは大変だ。
今まで「よし」とされてきたことの多くが覆されそうですね。