物を選ぶとき、無意識に誰かの「ウケ」を意識していることが多々あります。
例えば「この家具は使いやすそうだけれど、~さんから『安っぽいって思われそう』と、時々訪れるママ友の顔を思い浮かべることがあるでしょう。
服を買うときにも、プライベートな服であれば、それを着たときの相手の反応を思い浮かべていることがあります。
何より自分が楽しくない。
けれども、そのように常に自分以外の誰かの反応を意識しての物選びは、いつか他でもない自分が楽しくないと気付きます。
少しずつプチストレスがかかり、常に自分にウソをついている状態なので、積み重なるとどことなく胡散臭い雰囲気を醸し出すようになります。
自分にウソをつく人は、他人にもウソをつくものです。「嘘も方便」のような、相手を慮ったものなら良いのですが、自分を実際より良く見せようとするためのウソは、自分はばれていないと思っても相手にはばれています。
ウソと言っても、大層なものではなく、好みではない服を無理をして受け狙いで着るような些細なことです。案外、そうした小さなウソの積み重ねが自分の心に大きな影響を与えます。
家具や服に限らず、雑貨やちょっとした小物選びも同じです。それがめに入る度に「他人受け」を考えて選んだ自分を再認識することになります。なので、いつもそういう視点で物を買っている人は「なぜかわかならいけれど疲れる」状態になったりします。
その物選びは、何もデザイン性やブランド、メーカー品の有無に限りません。価格帯もそうです。本当は安いものでも良いのに、他人からどう思われるかを意識してあえて高価な物を選んでしまう視点も同様です。
できるだけ、自分の本音に正直に物を選ぶようにすれば少しでも小さなストレスを払拭することにつながります。
結局、取り繕った持ち物を評価されても、結局は「本当の自分が評価されているわけではない」と常に不安がつきまとうのです。
結局は本音で選んだ物でも、何のこだわりなく接してくれる人こそが、本当に自分にとって必要な人なのです。なので無理をして自分の本音にフタをしても結局はあまり良い結果が得られません。
多くの人が「本当の素の自分を受け入れて欲しい」と思っていますが、それとは裏腹に、本来好みではない服を着たり小物を持ったりしてせっかく「素の自分」を認めてもらうチャンスを自ら放棄しています。
「類は友を呼ぶ」と言います。友に限らず、夫になる人なども同様です。
自分が心穏やかに本当に気の合う人と接して行きたいと思うのならば、自ら無理な物選びをしないことです。最近、特にそうしたことを思うようになりました。