「今の自分に必要ない」とわかっていても物を手放せないのはなぜでしょうか。理由はシンプルです。信用していないからです。世の中と自分を。
- 必要な物を手に入れられる世の中
- 必要なときに手に入れられる自分
こうしたことを想定していないからです。
世の中も自分をも信用していないから、一度手に入れた物を手放そうとしないのです。
「世の中」と「自分」では信用の在り方が違う
もっとも、「信用する」と言っても、実は「世の中」への信用と「自分」への信用とではかなり形が違います。違うどころか場合によっては反対です。
「世の中を信用する」とは、現状維持が原則です。基本的に今現在から大きく変化しないことを想定しています。それに対して「自分が自分を信用する」とは多くの場合「変化」が原則となることが多いでしょう。
例えば、3年前に思い切って買った10万円のコートの処分を迷ったとします。処分をためらうのは「将来、10万円のコートが必要になったときに再び買えるだけの経済力がないであろう自分」を想定しています。
未来の自分を信用していないから手放せない
つまりは処分をためらう自分は未来の自分を信用していません。自分が自分を信用していないのです。そのような自分をいったい誰が信じるというのでしょうか。
考えてみれば、現代の世の中は一見、石橋をたたいて渡るような原則に沿っているようでいて、実は不確定な事柄を思い切って信じることによって一歩踏み出している事が多いものです。
世の中は信用で成り立っている
そもそも「お金」でさえ、「信用」が形になった物です。企業が新入社員を採用するのも不確定なことです。ですが、信用して採用します。病院に行けば、医師や看護師を信用して診断を仰ぎます。薬局に行けば薬剤師が出す薬を間違いない物と信用して受け取ります。電車に乗れば、事故など起きずに安全に到着できると信じて乗ります。
キリがないほどに私たちは何かを「信じて」日々、行動しています。常日頃、こんなに信用して行動しているのに、自分の持ち物の将来一つ、信用しないのはどうしてなのでしょうか。
もちろん、物を大切に扱うとか、むやみに買っては捨てるという話とは別の次元で、ですよ。
「手放すか否か」は近い将来の自分の信用を計る行為
手放すか否か迷った場合は、近い将来の世の中なり自分なりを信用できるか否かと自問している状況です。
世の中はわかりませんが、自分はどうでしょうか。それを手放したら、今後、それより気に入る物を手に入れる事はできない人生なのでしょうか。それとも必要なときには手に入れることができる人生なのでしょうか。無意識に、そうした将来を自分で決定づけている状況に気付くことが重要です。