制限がある方が、実は生き生きと活動できることがあります。それを感じたのは最近発表されたツイッターの文字数制限の変更の可能性の話題です。現在は140字の字数制限ですが、近い将来1万字になる可能性があるようです。
でも、これをすぐに朗報と受け取る人ばかりではないようです。ちなみに私は現在、ツイッターの利用をしていません。数年前に数ヶ月使ったことはあります。そのときに感じたのは140字でも結構、つぶやけるって事です。慣れてくると少ない文字数でいかに必要なことを伝えるかが面白く楽しくなってきます。
日本には限られた中で表現する文化がある
そして何より日本人には字数制限で表現する文化があります。俳句や短歌です。それから芸人が定番のリズムや文言に乗って何かを言うのも、ある意味それに近いノリがあります。水戸黄門のドラマは限られた時間で定番のストーリーがあり、おなじみのラストがあります。
いずれも限られた中の表現ですが、逆に安心できます。一見すると自由がないのですが不自由な制限がある方が人は様々な工夫を編み出しそのうち生き生きと利用しはじめるようですね。
ところが、この140字の枠が外れるかもしれないとなると、人々の思いは複雑なようです。自由度が高くなるのに、なぜか喜んでいる人の様子は見られません。
ある程度の縛りがある方がかえってラクな場合もある
こうして気がつくことがあります。それは、人が何かを表現しようというとき、ある程度の縛りがある方が、かえってラクだという現実です。そういえば、中高生は学校の制服をいろいろ細かくアレンジして、制服という限られた中でオシャレを表現しようとし始めます。
品数が多い店が良いかというと、反対に選べなくて何も買えなくなることがあります。けれども品数が限られているお店では比較的楽に買う物を決められます。フリーで仕事をするよりも、どこかの企業に入り、決められた仕事をこなす方が楽と考える人もいます。
部屋の中に、いろんな物があって便利な部屋よりも、物が少なく少し不便でも限られたものを工夫して使い回す方が楽だと考える人もいます。賄均話題のミニマリストの部屋や物の持ち方は、限りなく選択肢を減らして楽に暮らす方法とも言えます。
140字の文字数制限が1万字になると言われても、素直に喜ぶ気持ちになれない人が多いようです。それはミニマリストが「多くの物を持っても決して自由になれる訳ではない。」と知っている事と共通しているのではないでしょうか。
「多い程よい。」という価値観は薄れつつある事例ですね。