最近の服は、安くて丈夫です。それは良いのですが、皮肉な事になるんですよね。服を処分したり、買い替えの理由になりにくくなるのです。
本来、安くて質の良い服は良い事のはずです。ところが、古い服がなかなか傷まないので、処分しにくく、買い替えにくくなるんですよね。
けれども、新しい服に目がいくのは自然な欲求です。「安い」という「買っても良い理由」があるために、今の時代は、多くの方にとって服がどんどん増える事に拍車がかかるのでしょう。
Tシャツはその典型です。20年前位の頃は、Tシャツを買うのは賭けでした。買って何度か洗濯をしてみない事には、首が伸びるか伸びないかがわからなかったからです。
当時、夫が着ていたヘインズのインナー用の白いTシャツは「そのうち、すぐに伸びる」事がわかっていても買っていました。
ところが最近は、価格が手ごろでも服が簡単に傷みません。そのため以前と同じようなペースで服を買って処分もしないでいると、服が増えるスピードが非常に早くなります。
毛玉が出来ただけで「恥ずかしい」のは何かが「おかしい」
同時に、傷んでいる服を着ている日本人は多くありません。ちょっとでも毛玉が出来ていたら「恥ずかしい」という感覚が世の中全体にあります。
たとえ洗濯をしてあっても、毛玉があるというだけで「着るべきではない服」になってしまうのです。
私も、これまでは服がそういう劣化をした場合、ある時期から処分をしていました。でも罪悪感が伴います。
片付けや断捨離ブームが起きてから、その罪悪感は払拭すべき事とされてきました。
確かに増えすぎた物は、様々な弊害をもたらします。一旦は罪悪感を伴いながらも物をリセットする事は現実として必要な事でした。
大事なのはその後です。
一旦は罪悪感を伴いつつも、まだ着られる服を処分する事は、やむを得ない事です。
けれども、安易に買ってちょっと劣化したり、流行遅れになったくらいで安易に捨てる事は、今度こそ罪悪感を持つ事こそが正常であると思うのです。
部屋や自分のフットワークのために安易に物を処分する事を簡単 に繰り返す事は「何かがおかしい。」そう思うのです。
穴の開いたソックス
この前、秋に買ったソックスに穴が開きました。捨てようと思ったのですが「ちょっと待てよ。」とゴミ箱の一歩手前で元に戻しました。穴が開いたと言っても、その面積はごくわずかです。ちょっと前なら「穴の開いたソックスは即ゴミ箱行き」でしたが、捨てずにそのまま履いていました。穴が開いたのは、かかとの床に接する部分でした。室内ではボアスリッパを履いていますから、支障はありません。縫えば完璧なのですが、とりあえず、そのままにしました。
劣化してきたレギンスパンツ
さらに、部屋着兼ワンマイルウエアにしている服のうち、パンツがだいぶ傷んできました。2年ほど前に買ったユニクロのレギンスパンツですが、一年中履いています。今の季節は、下にスパッツ型のタイツを重ねています。かなりヘビーローテーションしていますので、徐々に痛みが見え始めました。
こんな風に、とことん着て、その結果痛みが出てくると、「手に入れた服をちゃんと活用しきれている」という満足感が沸き起こります。同時に、それだけ何度も着ているということは、着やすく、なじんでいるということです。買って間もなく傷むことは不本意ですが、たくさん着て痛みが出てくるという状態は、なんというか愛着心が沸いてきますよね。
傷んだ服
ただ、ここで一つ問題が起きます。まだ「着る」(履く)事に関しては問題なくても、見た目が劣化している場合です。こういう服は、たいていの場合、着心地が良いのです。普通に考えれば「捨てろ」ってことになります。同時に「貧乏くさいよ。」ってことにもなります。
「貧乏くさい」とは?
でも、ここで、ふと疑問に思う事があるのです。「まだ、履けるもので、自分もその履き心地を気に入っているのに、見た目が劣化しているというだけで捨てる事は、本当に『貧乏くさい』んだろうか?」ってことです。もちろん、さすがに人前に着て行くことはできません。穴の開いたソックスも、下手にとって置いて慌ててどこかに履いていって恥をかくかもしれません。
「恥ずかしい」とは?
けれども、そもそも「恥ずかしい」っていうのは一体何を根拠にしているのでしょうか。例えば街を歩いていてスカートのファスナーが開いていたら、恥ずかしいのに違いはありません。また、結婚披露宴に部屋着で出席したら、招待した人を馬鹿にしていることになりますから、恥ずかしいことです。
「誰に迷惑をかけるでもないこと」は恥ずかしいか?
けれども、例えば左右を間違えて違う靴を履いてきた場合、これは恥ずかしいことでしょうか。普通の感覚では恥ずかしいことです。でも、左右違う靴を履いていたところで、誰に迷惑をかけるわけでもありません。また、おしゃれの一環でわざと違う靴を履いているのかもしれません。もしかしたら、何かケガなどの理由があって違う靴を履かざるを得なかったのかもしれません。そもそも、「両方に同じ靴を履かなくてはいけない。」という決まりがあるわけでもなし、人に迷惑をかけることでもありません。とすれば、これは別に恥ずかしいことではありません。ただ、気付いた人は不可思議に思う事でしょう。
劣化した服をまとう人は貧乏なのか?
劣化した部屋着や穴の開いたソックスも、それと同じことです。しいて言えば、それを見た人が「貧乏で服やソックスも買えないのだろうか。」と邪推する可能性があることくらいです。
そもそも、今の時代、日本に限れば、ブランドの高価なものを持っている人が裕福であるとは限らないし、質素な格好をしている人が貧乏だとは限りません。劣化した服を着続ける事が貧乏であると言われる人だったのは、過去の話です。
もちろん、だからと言って、そういう服を人前に着て行くことはしません。悪い意味で注目を浴びても無意味だからです。
今の時代は、劣化した服を着続ける方が難しい
けれども、劣化した服を着続けるという事は、今の時代、忍耐が必要です。買おうと思えば新しい服を変えるからです。けれども、部屋着に限っては、ちょっと忍耐で「完全に着られなくなるまで履ききってみよう。」と思ったのでした。