最近、オシャレの悩みを解決すべく「○○診断」という物が静かなブームです。実際にその資格を持つ人に見てもらう他、ネット上や書籍にも判断方法が紹介されています。
「似合う」の定義を決めなければ始まらない
けれども、その診断を受ける時に大切なことがあります、それは「似合う」の目的をはっきりすることです。
「似合うと言ったら似合うしかないでしょうに?」
と思うのは大間違いです。
先日、目にしたミセス向けのファッション指南本を多く出している人気スタイリスト、石田純子さんの著書に「診断で似合う、似合わないを決め付けてオシャレの幅を決め付けるのはもったいない。」というようなことが書いてありました。
確かに、それらの診断を受ければ、ある程度客観性をもった視点で自分の「似合う」を指導してもらえます。けれども「似合う」とは何でしょうか?
そして自分の好みだったら良いのですが、そうでない場合はがっかりすることになります。その理由は「似合う」の目的を決めないまま漠然と診断を受けるからです。また、こうした診断を受ける時にも漠然と「似合う」物を選んでもらうだけではいけません。
「似合う」の定義とは?
1・元々その人が持っている雰囲気に合っていること
自分が「こう見られたい」と思う印象と相手が抱く印象とは違う事があります。通常の似合うとは相手からすれば「想定外」が起きないこと、つまり元々持っている雰囲気の印象が変わらないことです。
けれども、元々持っている印象が、自分が抱くものと相手が感じるものと一致しているとは限りません。この場合はたとえ「似合う」を言われても腑に落ちないと感じることになります。
2・従来よりも印象が明るくなること
診断の光景をテレビなどで観るとたいていは「ほら、明るくなりましたね!」の様な声掛けがなされています。「明るくなった」と言われて不満そうな顔をしているクライアントはいないようです。
つまり「似合う」とは印象が従来よりも明るい性格であるように見せることであるともいえます。
3・「もっと長い時間を一緒に過ごしたい」と相手に思わせること
たとえその人の雰囲気に合っていても、印象が明るくても、明るさが行き過ぎて「けばけばしい」「とっつきにくい」と思われると親しくなりたいと思う相手に近づくことが難しいかもしれません。
つまり、この場合は必ずしも「元の雰囲気を活かしている」服装や「印象がより明るいこと」が求める服装ではないのです。
元のイメージが違う場合、雰囲気を和らげるなどのため「似合う」を探す必要があります。
4・相手に与えたい印象であること
例えば、ビジネスの場面で、取引を成立させるために信頼してもらえる印象を与えたい場合や、政治家が選挙に当選するためにどういう服装をすれば効果的かという場合です。
この場合は上記の1~3のいずれも無関係です。この場合は本来の自分に関係なく「目的を達成するためにどういう印象を与えたいのか」という戦略に向けるがための「似合う」になります。
「理想の似合う」を伝える
たとえば、いつも地味に見られて困っている人がいるとします。ところが診断を受けて「似合う」と指導されるのは元々の雰囲気に合っている服、つまりは地味に見える服という事になる可能性は大いにあります。
反対に派手に見られて困っている人は「派手な服が似合う」という結果が出て益々派手な服装になり困ってしまうかもしれません。
似合うとは、「基本的に元の客観的な雰囲気に沿っている」ことです。他人から見て元々持っている雰囲気のイメージとのギャップがないファッションをしていれば「似合う」と言われるのです。
「変わりたい」から診断を受けるのだと自覚する
けれども、実際に「似合う」に期待してアクションを起こすのはそういうときではありません。診断を受けようとする人は「自分の中に眠っているかもしれない、今までの自分のイメージと違う結果が出て変化すること」を期待して診断を受けるのですよね?
つまり「診断を受けよう」と思うのは「これまでと違う自分」を期待しているということです。
服装系診断や占いが女性に人気がある本当の理由
そして、ここのところが実は重要ですが、主に女性が占いや服装系診断を受けたがる傾向にあるのは「堂々と『自分』を軸にした話をすることができる。」という点にあります。
誰しも自分語りはしたいものです。なんだかんだ言って、普通の人は友達と会ってお喋りをするときに相手の話を聞くよりも自分の話を聞いてもらう事が好きです。
けれども、自分の話ばかりを一方的にしていては嫌がられてしまいます。だからこそ、注意してお互いに自分の話と相手の話を半々にするように無意識にバランスをとっています。
女性同士の話がいつまでも終わることがなく、電話やラインのメールが延々と続く傾向にあるのはそれが理由のひとつです。
服装系診断や占いの時は堂々と自分に関する話だけできる
ところが占いや服装系診断では、堂々と自分に関する話だけをすることが出来ます。これによって「なかなか自分語り」をすることが許されない暗黙の空気を気にすることなく、「自分がより良くなる方法」についてだけとことん話を聞いてもらい、自分以外の話を相手にさせずに済みます。
「自分」に視点が向き過ぎていないか
占いも服装系診断も、根本的なニーズは同じ部分にあるのです。裏を返せば占いや服装系診断が大好きな人は、「自分」に視点が向き過ぎていないかを再認識する必要があります。
もちろん、時にはとことん、自分についての話をすることで「ファッションのため」という大義名分を抱えつつ、そして罪悪感を抱くことなく自分に関する話だけを出来る状況をつくり出すことは有意義です。
リアルな状況では、通常はなかなかできないことですが、このときばかりは「自分に関する話」だけを堂々とできます。だからこそ服装そのものというよりも、気持ち的に満足できるという効果が大きいからです。
最終的に決めるのは自分、そしてタイプを決め付けてはもったいない。
最終的には服装に限らず、自分で方向を決めて行かなくてはいけません。「診断」という名がついてはいますが当然ながら万能ではありません。
また、自分のことを「私はこういうタイプ」と決めつけてしまうことは実にもったいないこと。確かに骨格など変わらないものは不変であり絶対的であるかのような印象を受けます。
それはあくまで参考程度に受け入れるのが最善であって、結果を聞いたからと言って、自分で自分を決め付け、盲目的にそれに従おうとするのはいろんな可能性にフタをすることになります。
我が子を決め付けないことと、自分のタイプを決め付けない理由は同じ
子育てをしていると、しばしば「子供の感性を決め付けない。」という方針には多くの人が共感します。ところが不思議な事に、自分の事となると自ら「こういうタイプ」と決めつけてしまおうとしてしまう事がありがちです。
人は思うよりもっと多様性のあるものです。確かに、自分のタイプを自ら限定してしまえば、それ以外の情報を受け入れずに済みますし、自分で考えなくても良いですから楽です。けれども、それではもったいない。常に人は身体的にも内面的にも変化しています。それは自分だけではなく世間の価値観や良いとされる傾向についても同じです。