少ない持ち物で暮らすためには「上質で良い物」を少数精鋭的に持つことが有効な方法だと言われています。けれども、「上質」とは?「良い物」とは?本当に上質で良い物が私たちに必要ですか?
確かに熟練の職人さんが厳選された良質の原料で丹精込めて作った工芸品・・のようなものは素晴らしいと思います。
博物館に展示されているような「上質で良い物」を受け継いでいくことは意義があると思います。けれども、そういう次元の話ではなくて、実際に日常で使うようなものについてはどうでしょう。
100円ショップの「おたま」でも味噌汁をすくえる
たとえば100円ショップで売られている台所用品のおたまがあるとします。100円のおたまと、おしゃれ雑貨店で買った5000円のおたま。両者の違いはなんでしょうか。
デザインだとか、素材だとか、細かい仕様の違いなどがあるのは事実でしょう。確かに5000円のおたまは良い物かもしれません。けれども100円のおたまで味噌汁をすくうことはできないのでしょうか?それとも一か月で壊れてしまうのでしょうか?
そんなことはありません。見た目の違いはありますが、100円のおたまも5000円のお玉も同じように使えますし、耐用年数にも大きな違いはないでしょう。
つまり上質ではなくても、役割を担う事はできるのです。ところが「上質で良い物」という選択基準を持ってしまうと、100円のおたまも問題なく使える有りがたさに気が付くことが出来ません。
価格が安いという理由で軽んじない
そればかりか、「デザインがいまいち」とか、「うすっぺらい」とか「継ぎ目が汚れやすい」といったどうでもいい些細なあらさがしが始まります。
100円のおたまは物なので、そんな風に思っても「もう明日から、みそ汁をすくってやらないよ」なんて文句を言われることはありません。けれどもこれが人だったら、理由を付けてふさぎこんでしまうかもしれません。
アメリカの雑貨にファイヤーキングという食器があります。ミルクガラスを使ったプチアンティーク製品です。もとは千円前後で庶民が手軽に使うために使われていたそうです。
ところが現在は製造されていないので、愛好家の人たちにより注目され、コレクターもいます。そのため、元は庶民が手軽に雑に扱う種類の雑貨で会ったのに対し、現在はデザインにもよりますが数倍の値がついて出回っているようです。
上質の評価は変化する
このように、値段が少し割高なので「上質で良い物」という評価をその食器は受けています。けれども元々は「上質で良い物」という認識で扱われていたものではないのです。
このように、その物は全く同じでも周囲の価値観が「良い物」という評価をしているだけであって、本当に上質か否かというのはまた別の視点にあります。
ユニクロやGUは低価格なので、その服を着る事を恥だと思う様な価値観の人もいます。ところが実態は素材もデザインも高価格帯のものと比較して、どの程度の差があるのでしょうか。
私はその辺の専門家ではないので真実はわかりません。けれども、ユニクロ、GUよりも価格帯が上のメーカーの服だからといって、品質やデザインも価格と比例しているとは言えない可能性は大いにあります。
一般に私たちが上質で良い物という表現をするのは、価格が高いものです。価格が低くても品質が良い物は「○○にしては良い」のような言い方をします。
けれども最近は、周囲で販売されているものを見ると、価格とブランドイメージと品質が比例しているとは思えないと感じる事はよくあります。
だから「上質で良い物」なんていうのは割高な物を買いやすくするための言い訳に使われるフレーズです。もちろん、全てがそうだとは言いません。
けれども安いから品質が良くない、高いから良い。そんなことは有りません。同時に、たとえ品質が100%良いものではなくても、自分が求める条件が60%程度であるならば50%~60%の品質のものでも十分なのです。
例えば、自宅で調理をするために、何のスキルもない人がいきなり十万円の調理器具を使うというのはいきすぎです。それと同じように、服でも靴でもバッグでも家具でも家電でも洗剤でも高品質のものが自分にとってプラスになるとばかりは限らないのです。