持ち物の数を数えると暮らしに何か良い影響はあるのでしょうか。数年前、家にある全ての持ち物を数えてみたことがあります。
数だけではなく、購入金額も書きました。それで持ち物の量が多いか少ないか、持ち物にはいったい、いくらの費用がかかっているかを正確に調べてみたかったのです。
当時、「物を減らす」ことに熱中していました。だから「かなり減らした」実感があったのです。そして「成果を数字で確認したい」という好奇心もありました。
持ち物の適正量は各自違って当然
この作業は、数年前、冬場の空いた時間を利用して少しずつ行いました。それなりに時間はかかりましたが、結論は出ました。
保険会社などが提示している家財の金額よりも少なくはありました。けれども保険会社が提示する金額は、おそらく余裕を持った数字を設定してあることでしょう。
保険に加入する人のうち、家財が多い人、少ない人のうち、どちらを基準にする必要があるかと言えば後者にする必要があるからです。
ということは、結局のところ、その数字が多いか少ないか、判断がつきませんでした。結局のところ、数値化しても、各自のライフスタイルや好みが違います。だ
からそもそも「基準」はあるようで、ないのです。だから集計したとしても何ら考察する材料に成り得ないのでした。
持ち物全ての数を数えても自分の基準が定まっていなければ、意味がない。
この「調査」で得た最大の収穫とは「持ち物の数に意味はない」と気付いたことでした。仮に友人の家庭と持ち物の数を比較したとします。その数の差に意味はないのです。というのは、人によって暮らしの内容や重視する事が違うからです。
家全体の持ち物の数でさえそうなのです。物を減らし始めたころには、持ち物の服をすべて写真に撮り、取捨選択を試みたりもしました。そして「今回は2枚減らせた」「今日は3枚減らせた」というように、減らした数に一喜一憂していました。けれども数は問題ではないのです。それは、以前、家じゅうの持ち物の数を数えても何の意味もないと気付いたからです。服の数も大した問題ではありません。総務省統計局が国民の持ち物の数をカウントすることとは意図が違うのです。国が国民の持ち物の数の在りようを調査することには意図と意味があります。けれども私が暮らしを改善するために、家じゅうの持ち物の数を数えても、プラスに働く意味は何もないということです。
例えば服を300枚持っていても全てがきちんと管理されているのであれば、持っていても良いのです。けれどもたとえ服が10枚しかなくても、それらの手入れがおざなりで、無造作に扱っているような場合は、たとえ数が少なくても何か課題があるということです。
要は、持ち物の数が問題なのではありません。管理しきれるかどうかが基準という事です。普通は、数が少ない方が管理しやすい、だから物を減らす方が暮らしやすい、そう気付いて実践する人が増えてきた。そういうことなのです。