「持たない暮らし」ですが、実は2種類のスタイルがあります。みんな同じ方向を向いているのではないのです。「人それぞれ」なんていう、曖昧なこと言うつもりはありません。
結論を先に言うと、次の2種類です。
- 目の前に持たない暮らし
- 目の前以外にも持たない暮らし
目の前に持たない暮らしとは、つまり、自宅の物、持ち歩くバッグなどの中身は少ないスタイルです。それでも社会の情報、物流や商業、サービスのシステムがあって可能なシステムです。
目の前以外にも持たない暮らしとは、自宅には一見、多少の物はあります。買い物の利便性の関係によりストックや畑の手入れに必要な道具などです。一見、物はたくさんあるのですが、自宅周辺だけで全て完結することが多いので、社会の情報、商業、サービスのシステムは少ししか利用しません。そのため、トータルでは前者よりも物に関わっていないと言えます。
まず、「1」から説明します。
「目の前に持たない暮らし」とは
例
- 主に利便性の良い地域に住んでいる
- 車は持たない(子供がいれば持っていることも)
- ガス、水道、電気、ネット環境の整っているところに住む
- 食品、消耗品などのストックは持たない(店にいつでも買いに行けるから)
- スマホ、パソコンなどのデジタル機器は必須アイテム(しかしテレビは持たない傾向は大きい)
- アウトソーシングできる物は活用して物を持たない
- 場合によっては自炊より外食する(自炊の道具がいらない)
- レンタルできるものは利用する
主に利便性の良い街に住み、周辺の商業施設やサービスを活用する代わり、自分では関連の物をできるだけ持たない暮らしです。
同時に家事もできるものはアウトソーシングをします。自分で道具を使ったり家事をするよりも、プロに任せてしまえば手間がかからず、道具も持たなくて済むということです。
食品や消耗品のストックもたくさん持たずにその都度買います。近隣にいつでも買える店があるからです。
自宅に持ち込むのはスマホ、パソコンなどのデジタルものです。これらがあれば、テレビがなくても動画など娯楽を楽しめます。同時に他者とのコミュニケーションも、物理的に会わずとも可能です。
では、次に「目の前以外にも持たない暮らし」のケースです。
「目の前以外にも持たない暮らし」とは
まずは、例を挙げます。
- 主に利便性が良くない地域に住んでいる(田舎暮らしなど)
- 車は所有している
- ガス、水道、電気はあるが、それらに完全依存しておらず、他の調達手段もある
- 食品、消耗品のストックはある程度所有している(買い物が不便な地域であるため)
- スマホ、パソコン、テレビは所有しているか、ほとんど持たない人もいる(電話、ガラケーの所有はある)
- 自分で出来ることは可能な限り自分でする
- 食は食材の調達からできるだけ自分で作る、自作できない物は知り合いと物々交換(商業的な交換ではなく、コミュニティ、助け合い精神のような感じの交換)
- レンタルするよりも買うか自作する
両者の違い
- 目の前に持たない暮らし
- 目の前以外にも持たない暮らし
一見、似ているかに見える「持たない暮らし」ですが、実はかなりの違いがあるのです。
- 目の前に持たない暮らし
は、主に都市部など、利便性のある街に住んでいないと実現不可能な方法です。つまりは、自分の住居に物はないのですが、実態は物と無縁で暮らしているわけではありません。
持たない暮らしでもスマホ、パソコンを持たない人はこの種類では見かけません。なので、自分の住まいに物がなくても、実は物を間接的に使いながら暮らしています。
なので、個人的な趣味の物、好きな物、好きな服には少数精鋭でお金も使うので、総合的には経済の流れをうまく活用しているということになります。
むしろ、現代の利便性を受け入れて活用した「持たない暮らし」です。つまり、暮しが分業化していることを受け入れて、外部に依頼できるものは外部に頼み、その渦中に身を置く暮らしともいえます。
なので、この生活スタイルというのは、実は現代の社会のシステムがあって可能なことです。裏を返せば、今の社会のシステムに共感しており、その在り方にどっぷり身を置いているスタイルともいえます。
では、
- 目の前以外にも持たない暮らし
はどうでしょう。
こちらは、主に地方や自然の豊かな場所に住み、自給自足的な暮らしをしているスタイルです。必ずしも自給自足を目的にしている人ばかりではありませんが、人が生きていくのに必要な物の多くは自力で調達している割合が大きい暮しです。
この場合に所有している「物」は、自給自足、またはそれに近い暮らしに必要なための道具であるのですが、そうしたものを「持たなくてもいい」のは街中での暮らしです。それに対して自然の豊かな地域で自給自足、またはそれに近い暮らしをする場合、必要な道具を持ってはいますが、パソコンやスマホ、オシャレな服や靴、という「物」を必ずしも持っているわけではありません。
こうした暮らしでは、畑を耕す道具や車、食品を作るための道具や保管する入れ物など、一見、物がたくさんあるようにも見えます。けれどもたとえば、水、電気、ガスの使用は必要最小限であることがあります。この場合、水、電気、ガスの使用頻度が低いという事はそれに関連したライフラインのシステムに依存しすぎていないことです。ということはトータルでは物をそれほど使っていないともいえます。
また、食料の調達をはじめ、暮らしにおけるスキルは可能な限り自力で完結しようとするスタイルが大きいようです。
つまり、全てではないにしろ、前者の目の前に持たない暮らし、が現代の社会にシステムの渦中に置くスタイルであるのに対し、この目の前以外にも持たない暮らしとは、現代の社会のシステムからすこし距離を置いた暮らしです。このように「持たない暮らし」と言っても実は大きく2つの方向性があるのです。
そして、この方向性は実は全く違う方向を向いています。「目の前に持たない暮らし」とは現代の利便性の存在あって可能なスタイルです。そのため、今の世の中の在り方に、大きな信頼を置いているともいえます。
それに対して後者の「目の前以外にも持たない暮らし」とは、現代の利便性とは一定の距離を置いたスタイルです。社会に信頼を置いていないわけでもないでしょうが、それほど信頼しきっているというわけではないのかもしれません。
今のシステムが機能しているうちは「目の前に持たない暮らし」は可能ですが、例えば天災のような変化には弱いというデメリットがあります。その代り、今のシステムをうまく受け入れているので、周囲の多くの価値観と共存しやすく、好きな物、必要な物、サービスは買って手に入れるスタイルですから、経済的にはむしろ歓迎されるべきスタイルです。
最近「ミニマリストが経済の流れを悪くするのでは?」と言われていますが、そんなことはありません。理由は、このスタイルのミニマリストとは、現代社会のシステムがなければ不可能なスタイルだからです。
それに対して「目の前以外にも持たない暮らし」は違います。一見、物はたくさん持っているのですが、実は必ずしも社会のシステムにそれほど関わらなくても暮らせることが可能な確率が高いのです。そのため、物をたくさん持っているように見えても、実は社会のシステムに無関係に暮らせる割合が大きいのです。
個人の家には物がありますが(食品のストックや、道具など)ライフラインや社会のシステムに大きく依存していないため、トータルでは使用している物や使用している資源は少ないかもしれません。
というのも、ほとんどの物は、自分の目の届く範囲で手に入れて作っているからです。そのため知らないうちに実は多大な資源や人の労力を使ったものを買っていた・・というようなことが少ないわけです。
さいごに
最近、注目されている持たない暮らしですが、実は大きく2つの種類があります。この2つは実は方向性がまるで違います。
自分は果たしてどちらに近い物を目指しているのか?それを見極めることで本当に必要な物は何かという事が見えてきます。
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