簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。合理的な家事、少ない服で暮らす、家計管理、お金、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる暮らしの追及

読書感想文で「校内入賞」を狙う書き方



こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

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はじめに

今回は、読書感想文の書き方を紹介します。お子さんが、学校の宿題で学校で出される読書感想文を想定しています。さらに、単に「書けばいい」ものではなく、せっかく書くのですから「校内入賞」を視野に入れた書き方を紹介します。

宿題は、もちろんお子さん本人がやるものです。でもお子さんが「一番頭を悩ませるのが読書感想文」という方が多いのではないでしょうか。

読書感想文も賞を狙っていい

ネット情報には、多数の読書感想文ネタがあふれています。これらをざっくりチェックしてみると、残念なことに「とりあえず宿題を提出しました!」で、「とりあえず」のレベルに落ち着いています。確かに宿題を提出するだけなら構いません。でも、本当にそんなんでいいですか?何より「一応、書きました!」では、書くモチベーションが上がりませんよね。

そこでせっかくなので、「校内優秀賞」位の賞状をもらうことを目指してみませんか?それならモチベーションが沸きます。「たかが紙一枚」と侮らないでください。一枚の賞状はお子さんに大きな自信を与えます。

宿題を提出すればいい。 少し試行錯誤して感想文を書いてみる。

いずれにしろ感想文を書く手間は必要です。だったら、どっちの方が自分のためになりますか?

さらにうまくいけば校内優秀賞から市、県などのコンクールに出品される可能性も生まれます。当然ながらイヤイヤ書いたのではないと読める感想文は、必然的に教師の印象もアップします。それよりなにより、小さな賞は本人が小さな成体験を獲得することです。

読書感想文で賞を狙うのは意地汚い?

まず「賞を狙って書く読書感想文なんて意地汚い」と思うなら、無理する必要はありません。でも、運動会で徒競走の一等を目指したり、ピアノのコンクールで入賞したり、受験で合格を目指すことを「意地汚い」と思う人はいませんよね。読書感想文の賞を目指すことはそれらと同じことです。裏を返せば読書感想文はイヤイヤ仕方なく書く人が多いからこそ「穴場」なのです。

審査員は一読者に変わりがない

読書感想文で賞をとるコツですが、それは審査員の気持ちになることです。そう。審査員は立派な「読者」です。「書く人が子供で審査員が大人だから」という理屈は成り立ちません。書き手が子供で読者が大人でも「書き手対読者」であることに違いはありません。校内であれば審査員は担任の先生です。

だから重要なのは「読者(審査員)が書き手に何を期待しているか?」を想像することです。と言っても子供は「大人が何を望んでいるか?」なんてわかりません。そこでヒントになるのは実際に賞を受賞した作品を読むことです。受験で言えば、ちょうど「過去問」を解くことに相当します。

ただ、ここで大きな迷いが出るでしょう。それは「先生が期待する文章を子供が察して書く」ことの危うさです。それに関しては心配無用です。普通の子供は先生が期待することを一生懸命想像したとして限界があるからです。大人でさえ、いつも顔を合わせる家族や同僚やご近所さんの内面なんて知る由がありません。だからすべてが推測の域を出ません。いくら想像しても真実は本人しかわからないのです。

それよりも、そこで「推測する面白さ」をまた体験することになります。面白くない宿題が「もうちょっと面白いかも」レベルの宿題になります。

私が小学4年生の頃だったでしょうか?当時は読書感想文なんて何を書けばよいかわからず途方にくれていました。「おもしろかったです。」「感動しました。」には違いないのです。けれども、それをどう表現すれば良いのかがわかりません。

そんなある日、「市」で優秀賞をと受賞したという生徒の読書感想文が給食の時間に校内放送で流れてきました。受賞したのはなんと1年生の女の子でした。

そしてその子の作品が1週間に渡り、同じ時間に繰り返し放送されたのです。

受賞作品は感想を書いていない

繰り返し流れる読書感想文を聞いているうち、あることに気付きました。 「あれ、これって『感想文なの?』」

そうです。その子の受賞作品は「感想文」ではなかったのです。じゃあ、何か?と言えば「体験文」なのです。「~思いました。」思ったことを書くのが「感想文」だと思い込んでいた私は「こういう書き方でも『感想文』になるんだ・・」と、大きな勘違いをしていたことに気付きます。

もちろん、その小学一年生の女の子が書いた読書感想文は題材になっている本の登場人物の名前が時折出てきます。けれども「こう思った」ことは一言も書かれていないのです。

そこで私は、試しに「頭で考えたこと」を書くのをやめてみました。「本に沿った体験談」を書くことに徹してみたのです。本を読んで連想した実際の出来事です。すると「体験談」ならすらすらと書けることに気付きました。

「頭で考えたこと」は、マス目を埋めるのに苦労しましたが、体験したことを頭に浮かべて、それをできるだけ忠実に何も考えずに言葉で移しとっていくのです。「おもしろかった」ではなく「何を、どんな風にしているときに笑いがこみ上げてきたのか」その描写を淡々と書いていくのです。

「子供は誰と接して学んで欲しいか」を想像する

さらに、以後、感想文に限らず作文コンクールなどの受賞作品を眺めてみると、いずれも「家族」や「友達」や「学校の先生」や「地域のお年寄り」などの出現率が高い事に気付きました。今にして思えばそれは当然です。それは読書感想文でも作文でも学校などの教育機関が子供に書かせる目的を想像すればわかります。

学校や教育機関は子供に「健全な成長」と「子供ならではの不器用さ」を期待しているのです。成長と言っても、「多様な世代の人びとと接して欲しい」と願っています。その中で自分の役割や、未熟である部分を受け入れ謙虚に素直に、でも「いい子ちゃん過ぎない生意気さ」も見え隠れする不器用さ、不安定さが欲しい。そう思っているのです。

つまり、子どもの読書感想文で賞を与えられる作品とは、前述した「願い」を表現した作品であるということになります。

読書感想文の本

さいごに

お子さんに読書感想文のヒントを与えるなら、こう一言だけ伝えれば良いのです。「感想は書かなくてもいい。体験を書けばいい。」と。体験は本の内容にちょっとだけかすっていればいいのです。