「あ、また。」
昨日、風呂場の電球を変えたばかりでした。なのに、今度は玄関の照明が消えました。電球が切れていたのです。数年前、我が家が引っ越しを決めた直後でした。
ー家の決死の抵抗ー
反射的にそんな図が浮かびました。家がこう叫んでいるような気がしたのです。
「置いてかないでくれよ。」
物から私たちは何かを感じ取っているから、「捨てられない。」
最近はLEDが主流ですから、電球が切れる頻度はかなり減っているでしょう。賃貸なので高価なLED電球ではなく、私は相変わらず普通の電球で間に合せていました。それでも交換頻度は少なく、場所によっては数年に一度でした。
なのに、なぜか次々と照明器具の電球が切れたのです。それは3カ所に及びました。わずか1週間の間に3カ所も。
不思議なことに、物は「ここに心あらず」な状態になると調子が悪くなることがあります。それは気のせいだと思ってきました。けれども最近、「気のせい」は案外そうではないのかもしれないと感じるのです。
その他、電球は切れなかったのですが、なぜかそのとき、洗面所の照明が一時的につきにくくなりました。「ここも?」と驚きましたが、それはそのときだけでした。
「これは家が抵抗している。」
直感的にそう感じました。家と言っても賃貸ですが、私たちがそこを引っ越す事が決まっていました。だから知らず知らず私たちの心が、すでにここにあって実態は引っ越し先に意識が向いていたのでしょう。
「今までありがとう。きっと大事に住んでくれる人が来るから、大丈夫だよ。」
心の中で家にそう言いました。
この家がこれまで、私たちを守ってくれたと改めて気付きました。そして家族は私たち3人ですが、家もまた家族だったのだ今更ながら気付いたのです。
「物を擬人化することすら苦手な私」が考える不思議な現象の原因
私は日頃、むやみに物や動物を擬人化することが大の苦手です。第一、いわゆるスピリチュアル的なことにも懐疑的です。確かな実態のない話は信じない方針です。厳密に言えば、安っぽい定番の話題の流れに乗せられることが苦手なのです。それはこの記事を書いた今も変わりません。
おそらく、現代では不可思議な事とされていますが、実際には何らかの決まった法則があるのです。ただ、現代ではそれが公にされていないか、もしくは解明されていない、ただそれだけのことでしょう。
そういう意味でも「引っ越しを決めた途端に、単なる物体であるはずの電球が次々切れる」現象は不思議でも何でもなく、きっと根拠のあることなのです。そう推測します。
おそらくは、私たちが「心ここにあらず」な状態が、何らかのひずみを生み出しているのでしょう。世間では、家電の買い換えを決めた途端、家電が壊れる等の話も聞きます。
そう考えると、たとえば服を捨てられないのは、不思議ではありません。服は自分が身につけるか、何らかの思いがこもっています。だから捨てようとすると文字通り心が痛むのです。それは気のせいではなく、実際にこれまで身につけてきた服を捨てるときは、自分が捨てられるようで心が痛みます。
池谷祐二氏の著書によると、特に女性は同情回路が働きやすいのだそうです。その同情回路は人だけではなく、物にまで生じる現象だそうです。
脳の働きが解明されるに従い、このような理由までが解明されてきます。引っ越しを決めた家の電球が次々切れる現象も、きっと解明されるか、すでにわかっていれば公にされるときが近いのでしょう。
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