欲を持つことはおろかなこと?
欲を前面に出すのは恥ずかしいこと?
でも、欲がなければ人類はとっくに滅びていたでしょう。
欲があるから人は生きられる
食べたい。
生きたい。
これが素敵。
知りたい。
覚えたい。
欲の種類も形も様々です。形式はありません。もちろん、犯罪に関係するような意味を含まない事はここに書くまでもありません。とにかく、人には欲があるから 、様々な暮らしがあります。
絵をかいたり、本を読んだり、散歩したり、スポーツしたり。仕事にいそしんだり。自分の意志で行うことは、一見して欲とは無縁に思えます。
でも、ささやかな小さな趣味。例えば道端に咲いた草花を愛でる行動も根源にあるのは欲です。「美しいもの、かわいらしいもの」を見たいという欲です。
欲は自然に存在するもの
「欲」とは権力者が多大な権限を振りかざすことだと思われています。だから皆、自分の欲を認めようとしません。
子供の頃、私たちは少しずつ「みんなを押しのけて自分だけが前に立ってはいけない」と教えられてきました。確かに、その側面はあるし、社会的ルールがなければお互いに疲弊します。
けれどもそれがいつしか、互いに監視し合うような変化球のルールに変化しています。
「自分だけ抜きんでてはいけない。」
「人と違う事を言ってはいけない。」
「みんなに共感される事を言わなければ変わり者と言われる」
結局、封印しようがしまいが、大して変わり映えのしないレベルのことにまで、人は敏感に反応します。
そういう暮らしはお互いに息苦しいだけです。所詮、人は皆違うのです。だから違いを認めることがお互いの自由の領域を深めます。
時に「相手を思いやろう」という名の縛りが存在します。だから思いやりという言葉は時にうさん臭さを発するのです。誰も思いやりに反論できる人はいません。仮に反論しようものなら、非難を浴びます。
ミニマリスト的概念の傾向とは
少し前に流行ったミニマリスト的概念の傾向。それは、かなり大雑把な解釈をすれば「物欲の封印」でした。
異論は多々あるでしょうが、多くは物に対する欲を封印したのです。けれども現代日本に暮らしていれば、それは無理というものです。
魅力的な「物」が次々と生み出されているからです。それを目の当たりにしても「欲しくない」のは、かなり無理をしているからにほかなりません。
無理をするのが悪いと言いたいのではありません。無理をする気持ちが自然で当たり前だということです。
もともとは「私は必要ない」と思っても、いざ目の前にすれば「欲しい」と気が変わるのは当たり前の自然な心境です。
だからそれを無理に封印する必要はないのです。まずは自分の気持ちを認めること。それが他人の在りようを認めることに直結します。