学校教育の影響でしょうか。
「努力が最高」
という誤った思い込みがあるのは。結局、努力重視は人を傷つけ、良い結果が先送りにされます。
努力重視を大人になっても持ち越す人たち
努力。
頑張り。
経過重視。
確かにそういう過程も大事と言えば大事です。特に成長過程の子供にとっては。大人や周囲の人間が「認める」過程は必要です。
でも、こうした習慣を大人になっても持ち越すからいけないのです。努力などの経過重視とは他人の評価を重視することです。さらに人が人を評価する曖昧な世界です。一方でそれを受け入れる側にあるのは甘えです。仮に思う様な結果が出なかった場合には言い訳がまかり通ります。そうなれば現象を冷静に見つめる機会がおざなりになります。子供であれば、こうした過程はある程度必要でしょう。けれども大人になっても引きずってはなりません。
結果重視することは人を責めない
もちろん、結果が思うように出なかったことを周囲の人がカバーする連携は必要です。でもそれは「努力した」という経過を評価する事とは全く別の話です。経過重視することは物事を純粋に客観視する事がおざなりにされます。なぜなら、「努力する人」にばかりスポットが充てられているからです。
結果を重視することは一見、冷ややかに思えることでしょう。でも、そうではありません。実は結果を重視することと人の行動とは無関係なのです。重視すべきは結果という現象です。それに携わる人ではありません。人にスポットを充てない分、思うようにいかない結果がある場合は、責める対象は現象のみ。人ではないのです。
「努力」というパフォーマンスに消耗するのはやめよう
ところが、その線引きが実に曖昧であり人を、さらには自分を責めてしまう人がいます。仕事であれ、家事であれ、重視すべきは結果のみ。現象の改善にだけ注目すればいいのです。そうすれば誰も傷ついたり責める要因もありません。さらにはパフォーマンスだけの無駄な努力に消耗することもする必要ありません。そうすれば、物事の問題解決は早くなります。さらに個人に至っては、もっと自分がやりたいことにこそ時間を割けるようになることでしょう。