お医者さんが書く字は、たいてい読みにくいですよね。それはおそらく、普段、短時間の間に膨大な情報を処理する必要があるからです。
ノートは判読できればそれでいい
きれいに書いていたのでは、間に合わない。だから「本人が判別できればいい」というレベルの字を書く人が医師には多いのです。
昨今、ノート活用は常に注目の的です。けれども、実利を求めるならノートはきれいに書く必要がありません。確かに、きれいなノートは見ていて楽しいし気持ちが良い物です。「見て楽しむ」という趣旨であれば「きれいなノート作り」はどんどんやって良いのです。
一方で、見て楽しむためではなく、実践を目的とした場合は、ノートはきれいに使わない方が良いのです。字は汚くていい。本人が判読さえできればそれでいいのです。
結果を出すノートは経過を問わない
なぜなら、実践を目的としたノートは、結果がすべてだからです。「ノートを書く」ことはあくまで手段であり、経過です。だからここに時間や手間やエネルギーを注いではいけないのです。
けれども「きれいなノート」は、小学生以降、常に高評価の対象です。字がきれい。ノートがきれい。こうしたノートは先生から喜ばれます。
また、「勉強」というと途端に「自作の参考書作り」になってしまう人もいます。確かに、こうした方は机に向かっている時間は長い。けれども、なぜか成績が伸びない。「一生懸命なのになぜ。」と困惑する人。
それは冷静に見れば当然です。「きれいなノート」を作っても、肝心の暗記にならないからです。これからはわかりませんが、少なくとも現在以前の試験。それはほとんどが暗記ベースです。
暗記は絶対的量の繰り返しが要です。ところがノートを綺麗に書くという行為は、繰り返しがたいしてできません。覚えるための作業回数が少ないのです。ノートを綺麗に書く位なら参考書を買って何度も繰り返し眺めた方が効率的です。
もちろん「書いて覚える」つもりのノート作りもあるでしょう。けれども自作のきれいなノートには、漏れがでます。だからここにエネルギーを注ぐのは無駄なのです。
リアルな現実をおざなりにしない
見て楽しむ目的以外のノート作りは、できるだけ手間を省く書き方にすればよいのです。きれい過ぎるノート作りは「書いて満足」して終わってしまいます。ノートにエネルギーを注ぎすぎるから、何かを成し遂げた気分になり満足してしまうのです。これではせっかくのリアルな現実がおざなりになります。
もし、あなたが「見て満足」するノートではなく、結果を出すためノートを使うとしましょう。ならば、きれいに使う事を今からやめることです。誰に見せるでもない、自分のためなのですから。