役に立たないことが好きです。
誰に命じられたわけでも、
誰に頼まれたわけでも、
お金になるわけでもありません。
(むしろ、いくらかお金を使います。)
好きでやっていることではありますが、
多少の負荷をかけて実行しています。
負荷をかけたその「役に立たないこと」は、
強制力を生みます。
実行する直前と、
実行している間は、
少しばかり「今日はやめておこうかな。」
という心理が働きます。
けれども
「いや、これは使命なんだ。」
と誰に命じられたわけでも、
何かの役に立つと決まっているわけでもないのに
少しばかりいやいやの気持ちを平行しながら
実行開始します。
すると踏み出した後は面白くて仕方がなくなります。
こうしたことは「役に立たない」からこそ
面白いのです。
こうしたことを遂行している間は
好奇心の塊です。
まだまだ、知らない事がありすぎるし
暇とか退屈と感じる間がまるでありません。
私が「役に立たないこと」に夢中になっている間は
はたから見ると暇に見えるかもしれません。
そもそも人は遊ぶためにある。
そう思います。
遊びの意味は幅広いのですが、
私がイメージする遊びとは
「子供の遊び」
と、ほぼ同意義です。
みんな、子供の様にもっと遊べばいいのです。
考えすぎる脳は、思い悩んだり、怒ったりするためよりも
遊びに使うべきです。
動物はただ、生きるだけでせいいっぱいのようですが、
人は、それだけでは足りていません。
それは遊ぶためです。