とんでもないことに気付きました。
料理で調味の「手間」が不要になる方法です。
これ、勘や目分量と意味は違う方法です。
きちんと計測されます。
なぜ、計測しつつも手間がいらないのか、今回はその方法を紹介します。
「同じ鍋で同じ水なら調味料も同じ量」だと気が付くだけ
料理で面倒なこと、それは調味です。
作るたびに材料の重さを量る
作るたびに調味料を計測する
要は「作るたびに同じような事を繰り返す」わけです。けれども、勘や目分量では、違う味になる恐れがあります。復、料理の経験が浅い人は無理があります。
先日、気が付いたのは鍋を出したときでした。最近、新しく買った鍋を頻繁に使っています。
料理はしょうゆ味ベースか、塩味ベースです。食材は作るたびに違いますが作る分量はだいたい同じです。
ということは、しょうゆや塩のベースになる調味料は、いつも同じ量を使うということです。
ならばいちいち作るたびに量らなくても、鍋に入れた水の量で調味料の分量が決まるという事です。
食材がなんだろうと、具だくさんであろうと、少なめであろうと、食材が変わろうと、その鍋に入れて同じ量を作る限りは、しょうゆ、または塩の量は常に同じで良いということです。
レシピの概念にとらわれていると気が付けない
な~んだ。
何か気が抜けました。
なぜ、今までこのことに気が付かなかったのでしょう。
もちろん、これまで目分量や勘で「計測不要」をできてはいました。けれども
- 目分量で計測をしないことと、
- 調味料の適量がわかっていて計測不要なことは
似ていて非なる物です。
「この鍋で半量の水を入れたら醤油は大さじ3」
というように、何を材料に使おうと必要な調味料は正確に量られているのです。けれども私は、単に醤油を大さじ3倍、何も考えずに入れるだけで済みます。
材料に対してではなく、いつも使っている鍋と水の量に対して調味を把握しておけばいいのです。
簡単なことですがレシピの概念にとらわれていると気が付くことができません。私は長年、レシピを意識することなく目分量と勘で調味をしてきました。
けれども最近になり塩分の量を把握するために計測するようになっていました。これがきっかけで今回の「盲点」に気が付いたのです。
同じ行動をとっていると盲点に気が付けない
いつも同じ行動をとっていると簡単なことも盲点になって気が付けません。ドアは引けば開くのに、必死で押して開けようとしている事と同じです。
このようなことは調理に限らず多数あるでしょう。まだまだ盲点はどこかに隠れているかもしれません。
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