いざ、断捨離を始めようと思ったけれど、家族に反対されることがあります。
今回は、周りの反対にあって、断捨離が進まない方への対処法を紹介します。
はじめに家族の方がなぜ、断捨離を反対するのでしょうか。
考えられる原因はいくつかあります。
もくじ
- もくじ
- 自分以外の家族の物を半強制、または勝手に捨てられるから。
- 物が少ないより物がある程度ある方が落ち着くから。
- 現状の物の持ち方に不満がない、満足しているから。
- 断捨離にお金がかかるから。
- 物が少ない状態は貧乏だと思われる気がするから。
- 骨董的財産が含まれているから。
- 断捨離は必要だと思うが、今はその時期ではないから。
- 近所の目が気になるから。
- 最後には自分を断捨離するのではないかと思うから。
- さいごに
自分以外の家族の物を半強制、または勝手に捨てられるから。
家族の持ち物を勝手に捨てるのはやめましょう。
また、家族の共有物も同じです。
例え普段は使っていなくても、勝手に捨てられては当然です。
断捨離はまず、自分の持ち物だけに着手します。
それが基本です。
そのうち、段々スッキリして暮らしやすくなっている様子をみると「自分も少し断捨離してみようかな。」と思うかもしれません。
そもそも断捨離が本当に最善であるかは誰にもわからないのです。
ここでは一見、断捨離を推奨していると思うでしょう。
それはあくまで、価値観の1つに過ぎないという事を自覚しながら進めましょう。
物が少ないより物がある程度ある方が落ち着くから。
物が少なく、スッキリしたホテルの様な部屋が落ち着く反面、ちょっと散らかっていても人間らしさが出ていてほっとする場面も存在します。
落ち着く空間の感じかたも人によるのです。
現状の物の持ち方に不満がない、満足しているから。
物が少ない空間に憧れを抱く一方で現状に不満を抱いていないケースはあります。
不満なく暮らしている人に突然、物を減らす価値観を押し付けては戸惑うのも当然です。
断捨離にお金がかかるから。
物を買うにはお金がかかります。同時に捨てるにもお金がかかります。
買う事にお金がかかるのに抵抗がなくても、捨てる事にお金を使う事が納得いかない例はよくあります。
要は、物を捨てることによって、得るものがあると思うから人はお金を払ってでも物を断捨離するのです。
そこを納得できるかどうか、ということです。
物が少ない状態は貧乏だと思われる気がするから。
物がない人は貧乏。
そういう価値観はそう簡単に消えることがありません。
テレビと新聞だけが情報源という人はまだまだ多いし、今後も変わることはありません。
テレビでは物がそろっている状態がいいんですよ、というイメージを刷り込む事が得意です。
家にテレビがある人に対して「物がなくてスッキりした空間の豊かさ」を理解してもらおうと思うのはやめましょう。
人の価値観を根底から覆すのは余計なエネルギーを使います。
骨董的財産が含まれているから。
先祖から受け継いだ財産的なものがあって捨てられない場合があります。
断捨離は必要だと思うが、今はその時期ではないから。
断捨離自体に反対ではないけれど、今それに着手する時期ではないことがあります。
いつなら始められるのか、よく話し合う事が必要です。
近所の目が気になるから。
物を断捨離するという習慣がない人にとっては、それが奇異に映るので、目立つことを恐れている場合があります。
田舎に行くと、ちょっとした異変に人は敏感です。
大量にある場合、こういうことは、意外と業者さんのほうが得意分野かもしれません。
事情と希望を説明して相談してみましょう。
最後には自分を断捨離するのではないかと思うから。
物をどんどん断捨離され、しまいには物ではなく人、つまり「自分が断捨離されてしまうんじゃないか」
と恐れている場合があります。
家族それぞれが一番大事で、人の暮らしを優先したいから断捨離するのだということを何より自分が認識しなくてはいけません。
さいごに
「断捨離したいけど、家族が反対する」
理由が思い当たったでしょうか。
自分がどんなに断捨離を望んでいても、それが絶対に正しいとは限りません。
どんなに正論を言ったつもりでも、相手には相手の価値観があります。
断捨離をするのなら、まずは自分の範囲から始めればいいのです。
また、常に価値観の反対の可能性も視野に入れる必要があります。
この場合、一時的にどんな結論を出しても絶対に正しい答えなどありません。
それでも、自分が出せる結論は1つです。
結局、その中からどれかを選んでいくしかありません。
反対されて断捨離が進まない時は相手を責める考えばかりが浮かびがちです。
けれども、そんなときには相手ばかりを責めないことです。
そして可能な範囲で対処していきましょう。
段階を踏んだり、自分の範囲の断捨離が進む場面を見ることで相手も考えが変わるかもしれません。