堀江貴文氏の書籍です。
著者は多数の書籍を出版されています。
一貫して主張しているメッセージはずっと同じです。
行動せよ!
です。
何かをする前にあれこれ考えすぎてしまうのは愚の骨頂ということですね。
この本は見開きの右側が格言的一文、右側がそれに対する補足的文章です。細かく説明されるよりも行動を起こすためにはこういうシンプルな文面が良いのです。なぜなら印象に残りやすいからです。
氏の著書をいろいろ読んで気付くのは「努力した話」や「親に感謝」的な、ありがちな文言が一切出ないことです。
これはきっと、氏が努力していないのではありません。また親に感謝していないということでもありません。
推測ですが、いずれも当たり前すぎて氏にとってはあまりに小さいこと。だから、わざわざ主張などしないのです。
例えばそれは、このような文言から読み取ることができます。
東大なんてテクニックで受かる
このように言われると、普通の人間はこう思います。
「へ~じゃ、なにか勉強しないで楽して受かる方法でもあるのかな~。」
ところが氏はこう言います。
センター試験なんて過去問を10年分を丸暗記したり、ポイントになる問題集を全部丸暗記してしちゃえばいい。
東大卒ではない多数の一般人は、これを聞いて(読んで)こう思うのです。
「え?それって努力って言うんじゃないの?」
そして続いてこう思うのです。
「な~んだ。結局努力が必要なんだ。」
と。
東大卒ではない一般人にとっては、センター試験の過去問10年分を解くことはしても、丸暗記するところまではしないのです。
そして過去問10年分を丸暗記をしようものなら「努力した」と声高に主張したがるというものです。
ところが堀江氏にしたら、これは単なるテクニックにという表現をします。努力と認識しません。
また、確か氏は獄中にいたとき、介護の仕事をさせられていたそうです。それにしても、普通なら「介護を通して人の情の何たるかを知った。反省した。」みたいな話です。苦労自慢をしたいのが普通の感情です。ところが堀江氏の場合は一切そういう切り口が出ません。
同様に別の著書では興味深いエピソードの表現があります。それは子供の頃の話です。親にパソコンの購入を願ったら、堀江氏のお父さんは承諾してくれたました。けれども新聞配達のアルバイトを条件にしたそうです。お父さんにしてみれば、条件を認めつつも安易に物を買い与えることをしたくなかったのでしょうね。
その反応がまた、興味深いんです。普通なら「親に感謝」とか「働く尊さと苦労を知った」のような反応が出るところです。ところが堀江氏の反応は大変鋭いものでした。一切、ありがちな、「努力自慢」をしないのです。ひたすら現状を受け入れて親の思惑は理解しつつ受け入れるだけです。
なぜ、このような反応なのか。思うに、それは氏がもっと壮大な事を常に描いているからです。だから努力や人情のようなことは、あくまで過程でしかないのでしょう。
一般の人は私を含め、ついつい自分にばかりフォーカスしがちです。だからこそちょっとしたこどでも、努力をさりげなくアピールしたがるのです。
けれども氏の様に常に壮大な事に視点を向けていると、そうしたことはあまりに小さいし、自分向けのことでしかない。そして実現に向かうには、チマチマと考える暇はないのです。
たいていの場合悩みや迷いのスパイラルにはまるのは自分濃度が高い状態です。つまりは自己中心的になり、視野が狭い状態です。
けれども堀江氏のように、視野を広く持っていると嫌でも自分という視野は小さくならざるを得ません。
改めてこの本を読んで行動する大切さを再確認しました。