今回は、AIが「人の可能性を無限に引き出す」きっかけになるというお話です。2月6日の日経新聞記事を参考にしています。
「 AI に仕事を奪われる」とか、「 AI に全てを管理支配されてしまう」とか、とかく悲観的な不安があちこちで見受けられます。確かに、そういった面を全て否定するわけにもいきません。ですが私たちが AI を生み出したのは、そんな目的ではないはずです。
もっと人間が「幸福になろう」と前進するために生み出したはずです。 AI のことを考えることは、幸福のことを考えることと同義です。
(イメージです)
となれば何が苦痛で何を楽しいと思うのか。それを認識していなければ AI の是非をとうことはできません。
人が生身の体を持っている以上、第一にあるのはある種の縛りです。これが苦痛の一つになっていると考えます。ところが AI とインターネットはその縛りを解く可能性を秘めています。縛りとは様々な 要件があります。
年齢、性別、職業身体的ハンディ、容姿、生まれ、所得・・・。
AI やインターネットを駆使することで、こうした制限を受けなくて済むようになります。
最近ではアバターがインターネット上で活躍しもう一人の自分が実際に活動するということが珍しくなくなっているようです。これこそ上記の縛りは一切影響されません。
例えばVRアカデミアというサイトでは、アバターになった40人余りが数学物理歴史宗教などを動画で教えているそうです。多くのアバター先生は身分を明かしていないそうですが、
「地上で素性は明かせなくても賢い人が世の中にはいる。その知識を共有して集合知にしたい。」
と運営者の高田さんは語っているそうです。(高田さんは大学生の身分を隠していないそうです。)
実際にサイトを訪問してみると、このような職員が並びます。
VRアカデミアとは?
Q1.具体的には何をするの?
以下のような企画などを想定しています。
各人のコンテンツに「VRアカデミア」というタイトルやタグを付けて投稿
Youtube等の配信サービスを利用し遠隔講義
講義動画や教材の販売
こうした人々は、ブイチューバ― などと称さで主にアイドル的な活動が盛り上がっているそうですが学習コンテンツなどの裾野も広いといいます。何かを学ぶという事に対して様々な方法があるのは画期的な事です。
皆さんは、アバターと聞いてどんなイメージを持ちますか。私が真っ先に浮かんだのは何年か前にちょっとだけ使ったことのあるアメブロのアバターです。ネット上に自分の仮装キャラを作りそのキャラが仮想空間に出向いてコミュニケーションを取ったりするような感じだったと思います。
ところが現在では、従来の娯楽的キャラ範囲を越えようとしています。VR システム会社バーチャルキャストの 岩城取締役は、色々な可能性があると語り、「アバターが報酬を得る仕組み」も用意されているそうです。つまりアバターが経済活動の場にもなろうとしているのです。
アバターの概念はもっと進んでいるようです。ベンチャー企業のオルツは、個人の行動や思考などをもとにその人のデジタルコピーを作ることを目指しているそうです。
重要度の低いものはコピー頭脳に任せて、本人は重大な意思決定に専念するという仕組みだそうです。まさかの「自分が複数に分かれて活動する」概念が進んでいます。
アバターの概念は、まだまだ先の SF チックな夢物語だと思うかもしれません。ですがすでにアバター的な活動は、私たちがすでに行なっていることだそう。例えば SNS のアカウント元に、自分のキャラを変えたりといった試みをしている人は「決して珍しくないだろう。」ということです。
確かに私もブログを書いています。これもある種のアバター的役割を担っていると言えるでしょう。
新聞にはこのように書かれています。
人工知能( AI )に仕事を奪われる。」人が果たす役割や存在感について、不安や悲観論があちこちから聞こえてくる。間違いではないにせよ、それが全てでもない。 やわらか頭でテクノロジーに向き合い使いこなせば、引き出せる能力が人にはきっとある。
この記事は音声入力で記述しました。