私は基本的にスピリチュアルというものを信じません。「スピリチュアルな事は一切信じない」と決めるだけなので簡単です。
そう決めるだけでいわゆる「騙される」とか「金銭的なリスクを負う」こととは無縁でいられます。同時に現実を見据え、全てにおいて前向きに対処しようという気持ちが出ます。きっかけは数年前に読んだある本です。そこにそうしたことが書いてあり納得し、共感しました。
スピリチュアルとは
英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま[1]。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
もちろん慣習的な行事や、お正月に神社にお参りに行ったり、お盆にお墓参りに行ったり、手を合わせることそのような慣習を否定はしません。
私が信じないというのは、ざっくりしたイメージで言えば主に新興のスピリチュアルです。もちろんスピリチュアルの概念自体幅が広いので、「これは違う」という様な反論もあるかもしれません。ですが半端が一番良くありません。「一切信じない」という決心が重要です。
なぜなら、スピリチュアルというものに惹かれてしまった場合、高い確率で金銭的なダメージを受ける確率が高まるからです。全てとは言いませんが、大体においてスピリチュアルに人が惹かれる時というのは、何か困難なことを目の当たりにしていることが多いと思います。となればつい、藁にも縋る思いになっていることが多いので正常な判断ができなくなっていることがあります。
確かに世の中には、不確かなことや解明されていないことは多数あります。そして目に見えないことは無限にあります。一方で目に見えないことをいいことに、残念ながら最終的には金銭トラブルに発展してしまうスピリチュアルというのがしばしばあるようです。
現在解明されていないことは何とでも言うことができます。そして大抵の場合、スピリチュアルと同時進行しているのは何らかの物語です。その物語にも納得してしまうと、人はスピリチュアルに惹かれてしまいます。
もちろん信じるも信じないもその人の自由です。けれども確率的に非常にリスクが大きくなります 。リスクというのは率直に金銭のリスクです。 例えばわかりやすい例で言えば「この壺を買うと病気が治る」とか、「お墓を新しく建てると家族の仲が良くなる」とか、まあそんなことです。
冷静に考えれば壺とか墓という物質と、人の病気と家族の 仲というのは無関係です。ところがスピリチュアルはしばしば、そのような意味不明の根拠のないことに利用されます。そこで簡単な対策があります。それは「スピリチュアルは一切信じない。」今すぐ、そう決めてしまうだけです。そうすとる物事が非常にシンプルになります。少なくともスピリチュアルをえさに金銭を失うことからは回避できます。
スピリチュアルのストーリーに心が揺れることもありません。自分が向き合うのは現実だけです。つまりは今、目に見えるものだけです。 そのように決めてしまうだけで「ローンを組んで新しくお墓を立て替え」たり、「どう考えても数千円程度の価値しかなさそうなツボ数万円で買ったり」というような事とは無縁でいられます。
私は2年ほど前に健康面で大きな転機がありました。こういう時はうっかりするとスピリチュアルの罠にはまりやすいので注意が必要です。
ですが以前から「スピリチュアルは信じない」と決めていました。ですのでその手の話に心が動くことはありませんでした。そもそもスピリチュアルな話の多くは根拠が全くないか、それらしき根拠を示されたとしても 曖昧過ぎで納得するにまるで至りません。
「藁にもすがる」ということで人は何か困ったことがあると 非 論理的なことにも納得してしまうのです。 つまりは正常な判断ができなくなっている状態です。そういう時こそ冷静になり現実を見ることがより必要になります。そして自分の中でストーリーを作らないことです。ただ現実という現象だけを見ることです。そうすることで確実な対策が見えます。