コンビニや飲食チェーン店が加盟店と対立しています。理由は人材不足です。記事では(日経新聞ですから)経営者サイドの視点で締めくくられています。けれども労働者側寄りに近い私は、昨今の現象を北欧のスタイルと重ね合わせた場合、日本は遅れていると感じています。
今朝の日経新聞のコラム春秋日野市の始まりはベストセラー小説コンビニ人間(著・村田沙耶香)の概要でスタートします。
「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」。
コンビニエンスストアでのバイト歴が18年で、36歳の独身女性を主人公にした村田沙耶香さんの小説「コンビニ人間」の一節だ。彼女はコンビニというシステムの「部品」に徹することで、世界とつながろうと努める。
~中略~
生きづらさや、同調圧力を感じるのは、人間になまじ個性が備わっているからなのだ。だったら厄介な自我を消去し、システムに調和して生きた方が楽だ。主人公の心の叫びが国境を越え、人々の胸にしみるのだろう 。
この小説は誰もが面白いと口を揃えています。けれども真髄はそれだけではありませんでした。それは主人公の心の叫びです。
一方でこの小説の深さを一体どのように表せば良いのか。そんなもどかしさがありました。ところがそれはふいに日経新聞のコラムに登場しました。
わずかな決められた文字数の中にそれはありました。冒頭の一説はこの小説を知らない人でも読んだ気になってしまうようなあらすじと共に、小説の魅力までもが的確に表現されています。
さて、春秋の本題は大阪のコンビニ加盟店による人手不足と、チェーン店本部と加盟店の間の24時間営業を巡る対立です。
同時に外食チェーンが人手不足により24時間営業の店舗が減っている問題も記載されています。
さらに冒頭のコンビニ人間の主人公が理想的な労働者であることをからめ「合理的な経営モデルが揺らぐ可能性」で締めくくられています。
「合理的な経営モデル」の視点に立っているのは労働者側ではありません。あくまでオーナーや投資家側であるに違いありません。
我が家は夫がサラリーマンですから労働者側です。労働者の立場から今回の春秋に書いてある状況を見ますと、24時間営業は無理があると考えます。
実際に24時間営業の店を利用するのは労働者でもあるのですが、結局はこのような過剰な「便利」は労働者の負担を増やしてしまうのです。
けれどもそれは労働者の負担が増えるだけに止まりません。結局、誰も24時間営業をしていなかった時代には、当初、先行者優位の原理で最初に24時間営業を始めた店舗は利益が出たり注目を浴びることによる結果が出たことでしょう。
けれども、次第に24時間営業を始める店舗は次々に増えてきます。そうすると労働者にとってはわずかに多いだけの賃金と体力的な負担があったり、オーナーや投資家側にしても他との差がなくなるわけです。ということは結局、「誰も得していない」状況に陥ってしまいます。
「誰も得していない」だけならまだ良いのです。 24時間営業のような過剰な労働がまん延することで、労働者側の負担は増えるだけです。
最近よく「人手不足だ」と言われています。 実際はある意味、人手不足なのではありません。おそらく、24時間営業のチェーン店のように「負担の多い仕事に、それに見合うだけの報酬が支払われていない業種に誰も就きたがらない。」側面が否定できません。
つまり労働者側も、自分の身を削ってまで無理な仕事をすることは危険だと察知するようになったということです。
実際、すでに北欧では店舗が営業する時間が決められているそうです。理由は労働者の生活を守るためであると言われています。
営業時間が決められている代わり、 日本のように24時間営業の店のような利便性を追求した店舗はほとんどないようです。(国によって違いはあるでしょう)
それは過酷な競争は結局次第に、無理だけが残り、 誰も幸せにしないということを認知しているということでしょう。
誰かに負担が多すぎる社会は、いっときは誰かが得をしているかのように見えます。けれども次第にひずみとなって表にそれは現れます。
本当の利益とは、世の中全体の人たちが幸福を感じ、満足しないと最終的には得られないものと考えます。
国連の世界幸福度ランキングを見てもその有様は数値となって現れています。
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