年齢を意識するタイトルがついていると、つい気になって手に取ってしまいますよね。
この本のタイトルは「55歳」がキーワードです。
「まだ、55歳には早いけどね。」
なんて思いながら手に取るのですが、内心50歳を過ぎると「一応40代」だった48歳や49歳から一転する気がするのはなぜなのでしょうか。
年齢とは単に便宜的な目安だと思っていました。ところが実際は、ただの目安と思っていたはずの年齢に翻弄されている自分がいたのです。
それでも「年齢を意識しすぎることなく、我慢や無理のない自然な生き方がしたい。」
そんな風に思っていた時に目についたのがこの本です。
もくじ
この本をおすすめしたい方
50歳代以降、充実した生き方を知りたい方
著者について
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
齋藤/孝
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー著書が多数ある。テレビ・ラジオ・講演等多方面で活躍
書籍概要
内容(「BOOK」データベースより)
いよいよ「人生後半戦」に突入する50代半ば。仕事ファーストの生活もそろそろ卒業が近づき、気がつくと“暇”な時間が増えてきた。ついに手に入れた自由な時間を、どのように活用すればよいか?社会に貢献する。趣味に没頭する。社交に励む…。「今やりたいこと」だけで予定表を埋め尽くし、これからの人生を充実させる指南の書。
得に気になった内容など
幅広い教養がもたらす意味
著者の斎藤孝氏はあまりに有名すぎる方です。当然ながら著書は多数あります。そうした中で数年前は新刊が出る度読んでいました。けれども、特に理由はないのですが最近はあまり手にしたことがなかったのです。
つまり、今回久しぶりに斎藤孝氏の著書を手にしたのですが、第一印象は「具体例」などに挙げられている人物や著作などの引用の幅広さです。
考えてみればそれは当然なのです。(現明治大学文学部教授など)つまり教養は、人の懐の深さと、他者を理解する素早さと、余裕を産むのだということです。
多数の著名人、有名な方の発言や文言の引用は、いずれも超が付く一流の人たちです。同時に、それを使うタイミングもまた超が付く一流であることです。
そうしたことに触れる機会を得られることは、この本を読む大きなメリットです。
55歳は人から評価されることが終わる年齢であること
55歳は人からの査定は終わる。「自分は何をしてきたのか。」と思う人もいるかもしれない。でも心配無用。「たとえばここまで道をはずさずに社会生活を送ってこられた」ということでもいい。・・という内容が印象的です。
考えてみれば、「平凡な生き方で突出してはいない。」そうした現実にむなしさを覚える50代の人は多いと思うのです。
結局のところ、従来の「成果」とは他人の評価が軸になることですよね。虚しさを覚えるのは常に他人との比較にすがっているからと言えるのかも。
55歳はそうした評価から離れる時期でもあるそうです。ただ、一方で評価をエネルギーに生きてきた人ほど、意識の切り替えが難しいと言えるのかもしれません。
知的体力を鍛え直すし、感情をコントロールできる人になること
キレ易い頑固老人は前頭葉の機能衰えが原因とのこと。それを防ぐには脳を鍛えることが不可欠だということです。
要は感情的になる状態とは脳の機能がスムーズに働いていないから起きることなわけですね。
一般に、年齢と体が大人であれば「大人」であるとみなされるのですが、実際は「見た目は大人、中身は子供」である人もいるわけです。
自分がそうならないためにも、知性を磨き、感情をコントロールできる人になることが不可欠だというわけですね。
偏愛マップを作り、やりたいことを逃さないこと
「自分が偏って愛するもの」をマップに書くのだそう。リストではないことがポイントです。すると、連想式で「そういえばあれも」とマップが増えるメリットがあるそうです。
あえてどんどん予定を入れて、負荷をかけること推奨されています。
「予定を入れるなんてまっぴら」では、のんべんだらりとした生活になりがちだそう。55歳以後は周りから何かを強制されなくなるからだそうです。
確かに、ある程度の負荷をかけることで、毎日マイナスの感情を抱く暇が全くありません。
偏愛マップは、現在不可能だと思えることも含めて書きだすことにしたいと思います。
ライフスタイルを確立すること
心理学者アルフレッド・アドラーが使うライフスタイルの意味は、「自分の位置づけ」なのだそうです。
斎藤孝氏が言うには「スタイル」とは「その人の行動にある一貫性、その人らしさ」だそう。
ところが社会の枠組みがあるので、本来はライフスタイルを貫くのは容易ではないと言います。けれども55歳になれば、そうしたしがらみから逃れ自分のスタイルを選びとれるそうです。
実際には、社会の枠組みから離れた現実を受け入れられない人も一定数いるような気がします。
現役時代のノリで何だか偉そうなオジサンとか、結構います。つまり、自分の位置づけとは、若い世代のうちから貫く工夫をし続けることも必要なのではないかと思いました。
親の介護を考える
50代半ばとは親の介護問題が発生する時期です。介護を家族が行えば「シャドウワークになる」との指摘です。
この本で挙げられている事例として、介護を担う役割になりがちな立場の人は
- 長男の妻
- 実家の近所に住む姉妹
が受け持つパターンが多く、兄弟でも介護に関わる、関わらないの立場の違いが出るそう。
そこで不平等感から来るトラブル回避のために、家族間でも対価を払う事を推奨しています。私もこれには同感です。
実際に介護を引き受けている方からは言いにくいし、
「お金の問題じゃない」
と言われそうですが、それでも結局、対価を払うくらいしか「シャドウワーク」に応える方法は他にありませんよね。
本文中で使われた「介護という労働」という表現は思い切ったと思います。確かに介護は現実であり労働なんですよね。
高齢化社会である今、そしてこれからさらにそれが進むのですから、この問題を「単に気持ちの問題」で片づけてみて見ぬふりはできないと痛感します。
まとめ
- 教養が人の懐の深さや余裕を産むと感じた。
- 様々な引用文や例えが的確、豊富で大変参考になった。
- 50代は人の評価ではなく個人のライフスタイルが重視される。
- けれども社会の枠組みのしがらみに頼っていると急には方向転換が難しいのではないか。
- 若いうちから個人のライフスタイルを貫く工夫をし続けることも必要なのではないかと感じた。
- 介護問題は労働であると現実を把握すること。役を担っている人には対価を払うことも必要。
もちろん、 ここで挙げた項目はほんの一例です。50代からの時間管理とは他者を意識しすぎることなく自分の時間を生きることが要になるということですね。