今、子供がいることを理由に、何かをためらっていませんか?
もし、そうなら子供を理由にするのは今すぐやめた方がいい。
そもそも理由なんて、いくらでも作れるんです。
子供なんて「あっという間」に成長するから。
言い訳のネタにならない日は、すぐに来ます。
いえいえ、私も息子が赤ん坊のときは、こう思ってました。
「いったい、あと何回オムツを交換しないといけないんだろう。」
何だか、永遠にオムツ交換に追われるような気がしました。
そして小学生になり、中学生になり、その都度細かな雑務に追われ、
「いつになったら、自立するんだろう。」
と、永遠に子供は子供でいるような気がしていました。
ですが永遠に小さいと思っていた息子も、今は社会人になりました。
そしてふと気づけば、初老に片足突っ込んでいる自分がいる。
子供の母親
というポジションだったはずが、気が付けば下手すると
「おばあちゃん」
に近い自分がいる。
お・・おばあちゃん??
でも冷静に考えると、今の息子の年齢+1歳の時に私は結婚したのです。
息子を産んだのは、少し間を置いてですが、少なくとも今の私の年とそう変わらない時に実家の母は祖母、つまり「おばあちゃん」になったわけで。
うわあ~~
と、息子が大学生になった頃はまだ、そういう時期が近づいている自覚はありませんでした。
ですがここ2,3年になって、突然世代間の違いにいることに気付いたのです。もちろん、何かを始めるのに年齢は関係ありません。
関係ないのですが、体は時代の変化と逆行するように、昔と変わりなくいやおうなしに年という現実を突きつけてきます。当然、いくらやってみたくても、できない制限はある。
それが致命的だったのは、まさに2年前の突然のやまい。
やまいというか、私の場合は脳出血ですから、ある意味事故に遭ったようなものだと自分では解釈しています。
ですがそうはいっても、年齢の節目に遭いやすいことに、変わりはないのです。
誰にでも年齢の変化は、ある。それはわかりきったつもりでした。それなのに、その変化はあまりに突然で、前触れもありませんでした。
中年女性から一転して中高年女性へ。
もちろん、少しずつ、できる範囲ではあるものの、チャレンジを試みてはいる最中です。ですが年齢による変化というのは、もう少し、少しずつ、緩やかに、訪れるつもりでした。
私は今、めんどうでも毎日のストレッチその他を欠かしません。何かの本に書いてありました。
「ある年齢以降は、トレーニングでやっと、川の流れに向かって必死に泳いであらがい進むようなもの」
だと。つまりトレーニングをしなければ、いとも簡単に川下に流されてしまうというわけです。
今にして思えば、体力も記憶力も視力も融通が利いた子育て中の年代というのは、非常に効率的に何でもこなせる年代だったのだと気が付きます。
だけど渦中にいる時には、それがわからない。だから有り余る健康も思考力も無駄にしてしまう。そして当時はこう思ったものです。「子育てが一段落したら~しよう。」と。
だけど子育てが一段落する頃というのは、急激に身体も頭も変化が起きやすい時期なんです。だから「一段落したら」なんて思わずに今、その場で「やりたい」ことをやるべきなんです。
無理にとは言わないけど。