簡単に暮らせ

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『アンチ整理術・著・森博嗣』書評・書籍感想・ブックレビュー



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こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はファイナンシャルプランナーです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

今回は、物を整理したり片付けたり断捨離したりする価値観に一石を投じる本を紹介します。

 

Amazon→アンチ整理術

いつも片付けの事を考えている

「物を片付けたい。」

常に私はそう思っています。

だけど、小さい物はともかく、大物となれば段取りがいろいろわずらわしいものです。結果として「次の引っ越しの時になんとかするということで、ま、いいか。」とストップしています。

以前はそうではありませんでした。もともと優柔不断で、先送り思考の私ですから「即実行」を習慣にすることを実践することを心掛けました。

ところが最近は、そうもいかなくなりました。まだ現実的な年齢こそ50代前半ですが、体力や気力が伴わないために断捨離を進めにくい状態に陥っているともいえます。

そんな状況に、うんざりしていた時この本を見つけました。読み始めて感じたのは、私が長年、漠然と抱いてきた片付けに関する疑惑の回答を頂いた思いです。

断捨離の原理はシンプル

著者の森博嗣さんは、大ベストセラー作家ですが、元は国立大の教授であり工学博士です。

一方で、一般的な片付け指南本は、片付けの必要性を説いたものです。このような内容の本やテレビ番組が多数ある中にあって、整理術の前に「アンチ」が付いたタイトルです。

つまり、一般的な整理術の正当性ともいえる概念に一石を投じる本です。確かに、物を整理するメリットがあるのは事実だと思われます。

一方で、問題になるのは、整理は労力と費用がかかることです。同時に、整理の事を年中考えていなくてはならないデメリットがあります。

僕の断捨離に対する考えは一つだ。不要だと断言できるものは捨てれば良い。そうでないものは持っているしかない。 

断捨離については何冊もいろんな類似本が出ています。けれども本質を見極めれば原理はシンプルなのですね。

整理整頓の効果は本当にあるのか?

「使ったものは元に戻す」のは片付けの定番の習慣です。けれども、この「戻す」こと自体が常に片付けを意識することです。結果として、いつも片付けのことを考えることになります。

こうした矛盾に「本当に整理はメリットがあるのだろうか」という思いを抱いているのは、きっと私だけではないはずです。

何かの解釈や価値観は、それが絶対に正しいとは限りません。ところが「整理や断捨離こそ善」の思いにとらわれると、その思考の枠から出ることができません。 

僕は若い頃から、一度読んだ本や見たビデオは捨ててきた。二度と読まないし見ないからだ。一方で、それ以外の自分で買ったものは、ほとんど捨てない。

 捨てる基準に迷いは付き物です。けれども、著者の森博嗣さんの様に、シンプルな基準ならそもそも迷いがありませんね。

整理整頓は継続的な労力がいる

だいぶ前から常に整理、整頓について、私たちは課題だと思っています。というのも、一旦は整理、整頓をしても、これで終わり、がないからです。

仮に維持することができたとして、それには相応の具体的な労力が必要です。

  • こまめに整理したり
  • 定期的に断捨離したり
  • 人を読んで強制的に片付く状態を維持したり
  • 収納方法を変えてみたり
  • 引っ越しをしたり
  • 収納達人の本を読んだり

一般に、私たちが整理、整頓のことを本で学ぼうと思った場合、それらの本を書いている方は整理、整頓そのものを仕事にしているか好きで趣味の域に近い方が大半です。

もちろん、最近では一般の方が、ブログやInstagramなどで発信していることが発端になっている例もあります。

とは言え、基本的に、整理、整頓は、それに対しての比重が大きい方、という印象です。

終活は必要ない

墓も葬式も、僕の権利ではなく、子供たちがしたければ、すれば良いと思う。そこまで親が干渉することはできない。これが、僕の終活のすべてである。

 終活が話題になることがあります。子供に迷惑をかけないため、早めに整理しておこうという主張はよく見かけます。

けれども、そもそも人は自分以外の人と無関係に生きることはできません。「迷惑をかけないため」という思いは、裏を返せば「迷惑をかけられたくない」に通じるのではないでしょうか。

それよりも「自分は迷惑をかけながら生きている。」と考えた方が他者にも寛容に慣れると思うのです。

これまで終活は有用だと思っていました。けれども、過剰に終活を意識してムダに貴重な時間を浪費するより、今できることに視点を置いた方が良いのではないかと思いました。

 なぜ、整理という人工的な状態を好むのか

 人工的で不均質な状況になるよう、整理・整頓をし、掃除をして、これぞまさに「人工」という状況を作り出そうとする。

 整理整頓や掃除は人工の状態であるわけです。本来、こうした行為は自然の摂理から見た場合は不自然なことなわけです。

著者のような研究者の方は整理整頓とは無縁で、どちらかというと、散らかって無秩序な部屋で過ごしているイメージがあります。

いっぽうでテレビや雑誌などで紹介されるような社交的で華やかなタイプの人は、モダンでシンプルで整理整頓が行き届いた中に身を置いているイメージがあります。

おそらく研究者のような方はあまり他人の目を意識しておらず、後者のような方は他人の目を意識して生きている比重が大きいのではないかと推測します。

ということは、整理整頓とは、なんだかんだ言って他人の視点在りきなのかもしれません。この本の中にも、同様の事が書いてあります。

例えば同じ研究者でも、人の出入りが多い研究者の部屋は割と片付いているけれど、そうでない場合は片付いていない例が多いというのです。 

さらに興味深いのは、片付けの度合いと研究成果の因果関係は見られないという点です。

私達がこれまで得た片付けの効果を説いた指南本によると、その反対の事がかいてあります。つまり、片付けを進めるほどに様々な効率が良くなるという話です。

整理という秩序を求めるのは生命を感じさせるから

動物というもの、あるいは生命というものが、不均質な状態なのである。つまり、生命というのは、宇宙の平均的な状況からすると、極めて奇跡的なバランスを保っている特殊な状態

 

人間が整理・整頓に憧れるのは、それが生命を感じさせるものだからではないか

 

例えば動物が死ぬと、肉体は腐れ、最後には土に帰ります。この状態は、秩序が保たれていた生き物が死によって、細胞の秩序が壊れていきます。

つまり秩序が保たれた状態は生命が保たれている状態ですが、死ぬと秩序はなくなります。

私達が秩序をキレイだと思うのは、このことを本能的に求めるからではないかというわけですね。

秩序は支配側の思想

このことは、散らかった状態を「汚い」、片づいた状態を「綺麗」だ、と感じることにもつながる。本来、そういった感覚はなかった。犬も赤ん坊もそんなふうには感じない。 

 生まれた時に「片付け」を「きれいだ」なんて思わないのに、気が付けばそういう状態を「きれいだ」と感じる自分がいます。

それは成長の過程で取得した秩序からくるものなのでしょうか。 

しかし、社会生活を送る人間にとっては、秩序というものが必要であり、それは主として、支配側の思想である

 社会生活に秩序は必要だけど、支配側の都合でもあるというわけですね。そういえば昔の歌にもありましたね。そんな歌詞をうたったものが。

片付けの効果はあるのか

一方で、片づいているから仕事が 捗る、といった感覚は、少なくとも研究者の間には見られない。むしろ逆で、片づいていない部屋の主の方が、研究が捗っている場合が、僕が認識する限りでは多かっ

 片付けが本当に何らかの効果があるのかといえば、研究者の間での因果関係はみられないそうです。

そうであれば、一般人も片付けがプラスの効果を出すとはいえないのではないでしょうか。

片付いている人は論理的なのか?

では、論理思考に影響があるのかと思えば、それも関係ないようです。確かに片付け達人の方の書く文章が理路整然としているかというと、そうでない例はよく見かけます。

逆に、もの凄く綺麗に片づいていても、上手に自分の考えを整理し、順序立てて話せない人もいる

 ましてや子供であれば、必要以上に片付けを促すことはあまり意味がないのかもしれません。

もし、自分の子供を、「片づけなさい」「綺麗にしなさい」と叱るときがあったら、それよりも大事なことはないか、と一瞬で良いので考えていただきたい。

 ものごとに白黒つけない

何かの主義主張があったとき、白黒はっきりさせないと気が済まない人をよく見かけます。例えば私の近しい人にもそういう人はいます。

けれども、ものごとの絶対はないということを常に意識しないといけませんね。 

百パーセントこちらだ」と判断をしていても、それを絶対視しない。それで終りにはしない。覆る可能性はゼロではない。そういった立場を取ることが、人間としての深みになるだろう。

 つまりやたら人に腹を立てたり、炎上させる方というのは柔軟性に乏しく、白黒はっきりさせて安心しないと気が済まないのでしょう。白黒はっきりさせたいのは、おそらくは自分が不安で仕方ないからです。

フェイク情報に影響されたり、赤の他人に腹を立てて炎上させたり、といった現象は、かなり古いタイプの人間関係に酷似している。

都市も整理整頓が形になったもの

 また、整理整頓も俯瞰して見れば、都市がそれだというのです。このような概念は著者の森博嗣さんだからこそ得られる概念です。

人が集中すると、経済が活性化する。住宅は、山を切り開いて建ち並ぶようになり、さらにその後は高層化してマンションとなった。同じタイプのものは、同じところに収納する、という整理・整頓の基本が、ここに表れて 

整理整頓を机の引き出しや本棚やクローゼットの整理のことだと小さく考えていれば、それまでです。 

整理・整頓は、普通は身の周りのもの、多くは物質が対象である。ここまで述べてきたように、実は、ものだけではなく、環境や人間関係など、概念的なもの、あるいは自身の思考に関わる問題とも

ものごとを抽象的にみる

けれども俯瞰して、現象を抽象的に把握すれば、著者のようにそれは都市などの環境にも置き換えることができるという気付きが生まれるわけですね。  

自分がしたいことに活用するためには、手法がもっと抽象化されていなければならない

 整理とはつまり、本質を考えることであるわけですね。

自分自身を整理・整頓するとは、簡単にいえば、自分が生きるうえで、「一番大事なことは何か?」あるいは、「目指しているものの本質は何か?」を考えることだろ

 編集者との問答

第6章には「本書の編集者との問答」の項目があります。ここは「コーヒーブレイク」的な章です。

これまで抽象的な話が続いたので、著者が担当編集者から実際に受け取ったメールのやりとりをそのまま公開してあるという、異例の章です。 

編集者が著者とテーマに関する話をやりとりしているというよりも、ある意味、編集者さんの個人的な悩み相談をしているようにも見える印象です。

もちろん、個人の悩みは多数の悩みと同じであることは多いのですから、悩む相談のようなやりとりをすることで、著者が「何を書くか」のヒントになりやすいということはあるとは思います。

大きく抽象的にものごとを俯瞰して解釈する著者の森博嗣さんと、編集者さんの一生懸命な姿が印象的です。

整理とは本質を考えること

最終的に森博嗣さんが説いている共通点は、

本質を考える

という点です。同時に、こうも言っておられます。

 

自分を良く見せようとするから、どこかで無理が生じる、ということです。

そして考えて悩む重要性も説いています。 

行動するまえに、とにかくとことん考えること、悩むこと。

 この辺りは、最近よく言われる「考えるな、即行動せよ」とは違う概念ですね。

同じことを、「収納」に対しても、よく感じる。どうして、皆さん、そんなに収納したがるのだろう? 隠しておくほど嫌なものだったら、買わなければ良いではないか。僕は自分で金を出して買ったものは、全部飾っておきたい。

 

何のためにそのものを家に置くのかと言えば、必要だからか、好きだからのいずれかです。だったら無理して隠す収納にする必要はないのですね。

 

こうした本質に気が付くことができれば、どんな片付けや整理や断捨離が良いのかと必要以上に思い悩む必要はありません。

それらが必要なら片付ければよいし、不要なら片付けなければ良いだけなのです。重要なのはそれを人に押し付けないこと。

さいごに

一般的な整理整頓の本とは違う視点と気付きを得られる本です。このような物の見方が出来れば、目の前にある現象をひと味もふた味もまるで違う視点で受け止めることができます。

また、生きている以上は何かしらのの想定外は起きます。そうした事態に遭っても、物事を抽象的に俯瞰して本質を見極める習慣があれば、過剰にオロオロすることもなくなりますね。 

 このようなものの見方は多くの方が体得する必要があると思います。従来的な整理術や断捨離術でもピンとこなかった方は、この本を読んで発想の転換と大きな気付きを得る経験をしてはいかがでしょうか。

Amazon→アンチ整理術