今回は、ベストセラー作家の森博嗣さんの著書を紹介します。
- 森博嗣さんとは
- 内容紹介
- 『お金を増やした経験はない』
- 大金が入っても変わらない生活をする著者
- 財テクもしない
- 買い物に他人目線は要らない
- 値段と価値は別
- 「楽しみにお金は無関係」と知る
- 必要な出費が実は贅沢
- 著者の背景が割と公開されている点も興味深い
- さいごに
森博嗣さんとは
森博嗣さんとは、元国立大教授であった方で、工学博士でもあります。『すべてがFになる (講談社文庫)』などのベストセラー小説が多数あります。最近は小説以外の本が出版されていますが、執筆依頼の9割は断られているそうです。今回は、森博嗣さんがお金の話題について語るという非常に興味深い本です。
内容紹介
人気作家が明かすお金に縛られない生き方
お金を他人のために使ってはいけない
まず、タイトルが「お金の増やし方」ではなく「減らし方」というひねりが著者らしいと感じます。タイトルを見るだけで、世間一般にあるような、ありきたりの内容ではない期待が膨らみます。
『お金を増やした経験はない』
お金は「増やすものであり、減らすものではない。」概念が私達にはあります。けれども言われてみれば、「なぜ、増やす必要があるのか?」と疑問を抱く人が誰もいない事に気が付きます。
当初、著者に依頼されたのは「お金の増やし方」だったそうです。ところが著者はお金を増やした経験はないのだそうです。
結論を言えば、増やさずとも、仕事(執筆)などでお金が入るから増やさなくてもお金が増えているそうです。
大金が入っても変わらない生活をする著者
つまりは、相応に働いているからこそ、お金が増えているわけですね。決して濡れ手にお粟のような結果ではないわけです。
けれども誰が推測しても著者が現在、お金をたくさん持っていると推測できるのは、長期にわたって多数のベストセラーを出しているから、という点なのでしょう。
もともと、著者が小説を書き始めたのは、お金を得るためのアルバイト感覚だったのだそうです。それがスタートから注目され、ベストセラーとなったわけですね。
年収は一億円を優に超えたが、僕は相変わらず、毎日大学へ出勤し、一日十六時間くらい勤務していた。
お金がたくさん入ると、多くの人は生活レベルを上げるなど変わるものだと言われています。けれども著者の場合は、全く変えなかったようです。
財テクもしない
今の僕は、定期預金さえ持っていない。メインバンクでは、利子がつかない口座にしている
決済用預金以外の普通預金、定期預金などは1金融機関ごとに1人当たり元本1千万までとその利息が預金保険制度の対象ですが、裏を返せば1千万と利息までしか保護にならないわけです。著者は当然、それ以上の預金があるので、あえて当座預金などの利息が付かない決済用預金に預けておくことで、全額保護対象の預金に入れているということですね。
現在はコロナウィルスの影響がありますが、ちょっと前は国を挙げて投資することを「これでもか」と推奨されていました。ましてや著者の様に多額のお金を持っていると思われる方ならば、その一部でもそうしたものに回そうとするのが普通でしょう。ところが著者は、一切そうした物に関わっていないようです。
そうしたお金の管理をすれば、お金の管理について何もすることがなく、かえって手間も要らないどころか安全ですよね。
けれどもある程度のお金を手にした人が、そうしたマイペースを貫くのは、呼吸で言えばマインドフルネスの極みのような気がします。
買い物に他人目線は要らない
そういうと、買いたいものを買っていないかに思えますが、そうではないようです。著者は欲しいものは買うスタイルです。けれども他人目線はありません。
また、「借金をしない」というのが著者の基本スタイルのようです。
大勢の方は、自分のためにお金を使っていない。誰か人に見せるために使っているのである。
この本を通してわかる最重要ポイントは、著者は他人目線のためには一切お金を使っていないという点です。
もう一つ、非常に重要なことがある。お金を減らしたいなら、借金をすることだ。
一方で「お金を減らすなら借金をすること」で、裏を返せば「借金をしないことがお金を減らさないポイント」なんですね。
僕は、自分が楽しめることに、自分のお金を使っている。自分が一番楽しんだ時間、楽しめたことは、人に話さない。
最近は食べた物や行った場所を写真に撮りSNSやブログにアップする人は多いのですが、「おいしさや体験は、自分がわかっていれば十分なのに、なぜ他人に知らしめる必要があるのか?」という点ですね。
確かにSNSで流れる情報は、キラキラした場面ばかりなので、つい比較対象になってしまいやすい気がしています。
休日にどこかに出かけた写真等を見ると「出かけていない」ことに焦りを覚えることは誰にでもあるでしょう。
値段と価値は別
値段がすなわち価値だ、という安直な認識に長く浸かっていると、高価なものは価値がある、高価なものを持っていれば周囲から尊敬される、というような 歪んだ価値観へシフトしてしまうかもしれない。何が間違っているのかといえば、自分の欲しいものがわからない人間になっている、という点である。簡単にいえば、自分の人生を見失っていることに等しいだろう。
何かを見た時、すぐに値段を聞く人がいます。私も値段が気になってしまいます。予想より高ければ驚きますが、低ければ「その程度」と安心したりといった心理で無意味な値踏みをしているわけですね。
けれどもそうしたことに、「何の意味があるのか?」と問えば、確かにそれは、他人との比較だけのです。
「楽しみにお金は無関係」と知る
何かを楽しむために何でもかんでも「お金がかかる」というのも思い込みなのだと気が付かされます。
絵を描くことでも、同じである。好きな絵を飾っておくことも良いけれど、自分で絵を描くと、その描いている時間そのものが、実に楽しい。自分の思うとおりに描けなくても、けっして損をしたとは感じないはずである。
絵を買ってくるのも良いのですが、自分で描けば楽しいわけです。
必要な出費が実は贅沢
使っている本人は、「これはしかたがない出費だ」と認識しているのだが、僕から見れば、それはまちがいなく「贅沢」である。
「必要な出費だから削れない」というのは思い込みで、実は単なる贅沢をしていることに無頓着になっている可能性がありますね。
例えば
家
車
教育
食べ物
服
日用品
ありとあらゆることに、その可能性を考え直す必要はありそうです。
服を買うとき、奥様はユニクロと決めているようである。僕は、何がユニクロなのかもわからない。ただ、毎日あるものを着るだけだ。 僕は自分で服を買った経験がない。服屋に自分だけで入ったことが一度もない(つまり、入ろうと思わない)
これほどお金持ちの方でさえ、ユニクロを着ているわけです。私はお金持ちではありませんが、それでも同じく服の大半はユニクロです。何を着るかは各自の勝手だけれど「ユニクロ以上のクォリティを得る必要が、どこにあるのか?」とおもいます。
さらに昨今の状況は、外出の必要が減った途端、必要な服は既にあることに気が付きます。
著者の背景が割と公開されている点も興味深い
余談ですが、この本を通して、これまで割と謎とされていた著者の背景がけっこうあらわになっている点も別な意味で興味深く感じました。印税などで得た多額の(と思われます)お金をどのように扱っているかなども、です。
他には、奥様のことや、お子さんのことや、勤務していた国立大での背景など、たまたま記載されていることから垣間見えたことで得られた話も大いに参考になりました。
このような話題は、身近にそうした方がいないと、なかなか知りえない話です。そうしたプラスアルファの情報も、興味深く読みました。
さいごに
お金は「投資などで増やさなくてはいけない」と焦ったり、収入の上下で生活レベルを変えたりしていては常に、主体がなく振り回され続けます。
一方で、常にマイペースで他人目線の買い物ではなく、主体性をもったお金の使い方が最も大事なのだと痛感しました。
今の時期はお金の扱いについて、どうしたらいいかわからなくなっている方も多いと思います。
そんなときは常にマイペースを貫きながら、お金に振り回されず、必要なモノや欲しいものは得ることが出来ている著者の思考が大いに参考になります。
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