簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。合理的な家事、少ない服で暮らす、家計管理、お金、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる暮らしの追及

コロナで外出できないストレス時で気付いたこと



こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はFPです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

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コロナ影響下で、思うように外出できないストレスが、あちこちで叫ばれていますね。

私もまあ、例外ではありません。

 

ですがふと、気付きました。

「そういえば、子供のころなんて、冬になればこんなものだった。」

ってことです。

雪が降る地方の昭和の暮らしは閉鎖的

こんなこと言うと、アラフィフのおばさんが「昔は大変だった(自慢)」話を始めるみたいですが、そういう意図は全くありませんので念のため・・。

 

私は地方出身で、地元の冬は多少雪が降ります。県庁所在地で、普通の住宅街ですが、それでも冬はそれなりにキツイのです。

現在はだいぶ少なくなったのですが、子供の頃の雪はけっこう多かった記憶があります。ひと冬に1~2回位は屋根の雪下ろしが必要でした。

 

もちろん、雪が降っても外で遊んでいたわけですが、悪天候の日は家にこもらざるを得ませんでした。

ただしそれでも、当時は学校が休校になった記憶はありません。おそらく都心なら休校レベルでも、地方では通常レベルなんです。今の時代はわかりませんが。

 

猛吹雪の中でも、片道30分かけて学校に行きました。吹雪は珍しくないのです。

こんな感じに加えて、当時はパソコンもスマホもAmazonも楽天もビデオもありません。唯一の娯楽はテレビです。でも映る民法は基本2局だけでした。

当時はBSもなし。おまけにビデオデッキが家庭に普及したのは、多分中学生の頃です。でもまた、一般家庭にはない家が多かったですね。

 

当然、我が家(現・実家)にはありません。ただ、当時よく遊んでいた友人のお父さんは事業をやっている関係もあってか、新しもの好きでした。だからビデオデッキもあって、その友達の家でいくつかビデオデッキで映画を見せてもらいました。

確か同じころ、そのお父さんはパソコンも買って、少し見せてもらった記憶がうっすらあります。この友人の家は当時の近隣でも、例外中の例外です。私はおかげで目にしただけでも良い方。

 

でも私の場合は、ビデオデッキですら自分家では「まだまだ先の話だろうな」と思ったし、ましてやパソコンなんて夢のまた夢の世界、「自分とは無縁なもの」という感覚でした。

私の場合は小遣ではどうしても足りなくて、欲しいマンガ本が1冊ありました。それであるとあらゆる代替え案を親に提案しましたが、頑固で絶対「ダメ」の一点張り。まあ、余裕がなかったという理由もあったのでしょう。

そんな調子で全てがまわるのです。結果としてその物を見ても自分が操作することも、手に入れることにも一切気が付けない世界です。何もかもが、あきらめの境地だったなあ、と。私の周囲も多かれ少なかれ似たような感じでした。(例の友人はホント、例外)

 余談ですが、勝間和代さんと私はほぼ同年代です。勝間和代さんが中学生の頃、ねだって買ってもらったのがパソコンだと知りました。ねだれば買ってもらえるのがパソコンと知って、あまりの違いに納得しました。もちろん、ご本人の並々ならぬ努力と意志と行動があっての結果ではあるのですが、あらためて 「そもそもの違い」を強く実感した覚えがあります。

話は戻って・・

図書館から本を借りたりはしますが、適度に読みはするけれど本の虫みたいに読むわけでもない。そもそも田舎なので周りにそういう物を熱心に読んでいる人もいないんです。

さらに小学生のときは学校の指示で、「子供だけで学区外に行ってはいけない」の規則がありました。その規則がまあ、バカバカしいんです。

道路1本を境に道路の向こう側は学区外なのですが、そこに大手スーパーがありました。そのスーパーはまあまあ衣食住に必要な物が買えるのですが、そのスーパーにも「行ってはいけない」という規則なのです。

 

晴れて子供だけで、道路一本隔てた「学区外扱いのスーパー」にやっと行けるようになったのは中学生になってからです。(そのスーパーは今もあります。)

田舎あるあるですが、学校の先生もかなり保守的なんですよね。融通が効かない、例外を認めません。

 

まあ、こんな感じなので、とにかく外出できないわけです。友達の家に遊びには行きますが、それだけです。

さらに悪天候となれば、子供に限らず大人でも家にこもるしかないんです。しかも今あるようなエンタメ系娯楽もない。冬はかなり閉鎖的な期間を、じっと耐えて過ごすしかないんです。

閉鎖的な生活がスタンダードな世界で生きてきた

今回、コロナの事態にあって思うのは、

「外出できないストレスが、そもそもスタンダードな世界にかつては生きていたんだな。」

ってことです。

 

もちろん、それが「いつまでなのか」とか、感染リスクの不安の有無がありますから、比較できるものではありません。

 

だけど現代はネットがあるし、Amazonの安価なエンタメもある。

 

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買い物は通販で取り寄せは今のところ可能。

 自宅で運動する用具もそろっています。

 

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 家籠りで楽しむ方法はいくらでもある。

 

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制限はあるけれど、今はだいぶ「恵まれている」ということに気付いた次第です。

 

当時はパソコンなんて夢のまた夢でしたが、パソコンに限らず、今はネットで「これがいいですよ。」と紹介された品を同列に検討することができます。

本人がその気にさえなれば、いくらでも代替方法があります。

困難はあっても昭和より令和は乗り越える力がある

もちろん、だからといって、「昔より恵まれている」ことを比較することの無意味さはよくよく承知しています。

 

例えば、洗濯を手洗いする時代と、洗濯機で洗う現代を比較するのは無意味です。

けれども、困難な状況にあっているとしても、現代は昔と比較して確実に良くなっているという事実に気が付いたのは大きな収穫です。

 

この本にも、そうした話が多数あります。

 

 今回の事態は世界中の人が苦難に直面しています。

けれども世界中の様々なことが改善されています。とすれば当然、コロナ終息前後の世界も乗り越える力があるはずです。

昭和と令和を比較しても、私たちの生活はあきらかに良くなっています。昭和を古き良き時代と思うのは「記憶」だからです。

 

いっぽうで人はこれまで苦難を克服してきたし、苦難は変化でもあるので、終息後、どう活かすかをじっくり考える良い時期ですね。