今年に入り、コロナの影響でひたすら現状維持を徹してきました。
ところが最近、その反動なのか、いろいろ変化させたくなったのです。
迷ったら現状が変わる確率が高いほうを選ぶ。
そこで思ったのは
「迷ったら、変化のある方を選ぶ」
ことです。
コロナで様々な環境が変わった方は多いでしょう。
ところで、暮らしやその他の中で、私たちは常に何かを選択しながら生きていますよね。
例えば、
- 今日の夜ご飯のこんだて何にする?
- 明日は何を着る?
- 寒くなったから敷きパッドを買う?買わない?
- 今日、ウォーキングに行く?行かない?
- ランチに誘われたけど、行く?行かない?
などなど。
こうした問いに即、自分の回答があればそれを選択すればいいですね。
一方で迷いが出るときって結構、あります。
日本人は現状維持を好む民族だそうです。
もちろん、ケースバイケースですが、意識しないとけっこう、現状維持を選んでしまっている自分に気が付くことがあります。
勝間和代さんの著書によれば、日本人は特に現状維持を好む民族なのだそうです。
だから意識しないと、変化がなくマンネリしてしまいますね。
マンネリが続くと気持ちから老化が始まり、ついには実際に「老」に徹してしまいそう。
だから現状維持の習慣が重なることはつまり、老化に拍車がかかることではないかと思うのです。
現代の50代は以前の50代とは違う
私は50歳代になりましたが、私が子供のころの50歳の女性は「おばあちゃん」でした。
おばあちゃんという存在は、つきつめていくと「いつもそこにいてくれる人」なのだと思います。
もちろん、年配の方も尊い存在です。
ところがいざ、自分が50歳代になってみると、人生100年時代とか何とか言われている世の中になっています。
現在の50歳女性の感覚は、私が子供のころの感覚でいえば、35歳くらいの感じです。
いえ、もちろん、肉体は昔から変わらず50歳は50歳なりの現実となっています。けれども精神的な内面や、寿命は感覚がまるで違いますね。
ということは50歳を区切りに
「この年だし」
と年齢を理由に変化を恐れるのは、早すぎると気づいたのです。
49歳の脳血管疾患は長く付き合うこと
ただ、私はちょうど49歳のときに、脳血管疾患をやらかしてしまいました。(脳出血です)これは世界規模でも珍しくないし、ありがちな病です。
このことで当初描いていた50代以降のイメージが、実はかなり変わってしまいました。
けれども自分なりに、日々試行錯誤を重ね、後遺症の右半身まひ(リハビリで動きはほぼ回復、感覚のマヒが残っています。が、一言では書ききれない見た目にわからない不便、痛みその他が多数あります。)
こうした状態はもう、長らくつきあっていくしかありません。
現状維持を脱する積み重ねが回復を助けると思う
病から3年経過しましたが、それでもまだ、私は回復をあきらめてはいません。
こうした中で、痛感することがあります。
それは身体的なことも、メンタル的なことも、回復を助ける可能性があると自分で思うのは現状維持を脱することです。
例えば本当は家でのんびりしていれば楽ですが、それでは何も変化がありません。
現状維持を脱する小さな工夫を積んでいく
そこでちょっとだけ現状を脱する小さな工夫をするのです。
それはちょっと外に出て、散歩をするだけでもいいのです。
- またはコンビニにどうでもいい買い物をしにいくことでもいい。
- または空を見上げて秋の雲を感じるだけでもいい。
- 散歩の途中で書店により、並んでいる本を眺めるだけでも変化があります。
「今、こういうタイトルの本が多いな」とか、
「今日は、人が多いな。」とか、とにかくなんでもいいのです。
最近実践した小さな脱・現状維持
①パソコンの選び方を変えてみた
最近の場合では、新しくパソコンを買うときに、あえてこれまでよりスペックをアップさせてみました。
本当なら、私のパソコンの使い方であれば、以前と同じロースペックでも間に合いそうでした。
けれどもそこをあえて、以前よりハイスペックを選んでみたのです。
これで何か変わるのかどうか、まずは試してみることにしました。
②違う種類のお店で眼鏡を買ってみた
またつい最近では、新たに眼鏡を買う必要に迫られたのですが、これもまたこれまで買っていたお店ではないところに行ってみました。
従来の私だったら、ありえない選択です。
さいごに
ほかにも、ぼんやり考えていた「変化」があったのですが、勇気が出なくて踏み切れないでいたことがいくつかあります。
これもまた、順次自分なりに調べて、実行するかどうか、いろいろ考えて行動にむすびつけていきたいです。
子育て中であれば、いやでも生活が変化の嵐です。
ところが子供が育ってしまうと、良くも悪くも現状維持という守りに暮らしが向きがちです。
従来の時代なら、それでもよかったのでしょうが、私の年代はそれとは違う岐路に立たされていますね。
これはある意味、チャンスです。
このチャンスをどう生かすかは、自分の気持ち次第であるでしょう。