簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。合理的な家事、少ない服で暮らす、家計管理、お金、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる暮らしの追及

実家からの宅配物がほぼゼロになった何とも言えない現実と理由



こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はFPです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

はじめに

ほんの2,3年前まで、不意に実家から宅配で届く大量の食品に正直まいっていました。

けれども現在はある理由でほとんど送られなくなりました。

運転をやめた高齢父

大量の食品が送られてくる背景には、実家の両親からすれば、それを買って荷造りする作業が合間にあるはず。

その作業は大変だし手間だけど、生きがいだったみたいです。

ところがそんな思いで送った荷物を、娘の私は決して喜んではいなかったのです。

それでもたいていは

「送ったから、明日届くよ。」

と、事後報告のメールだったので、

「ありがとう。」

と、さすがにお礼を言うしかありませんでした。

もし、

「いる?送っていい?」

と事前に尋ねられたならば、

「いらない。」

と答えたはず。

もちろん、ほどほどの量であれば、それなりにうれしいし、もらってもよいのですが、何分、量がいつも多すぎたのです。

食べる量がそもそも違う

以前、何気なく

「量が多すぎる。」

と伝えたことがあります。すると母は

「冷蔵庫の容量が足りないせい。」

と言われたことがあります。

 

決して

「食べきれない。」

とは思わない。

 

しばらく離れて暮らしているので、両親が食べる量は忘れているし、年をとっているから少なくとも私より食べる量は少ないだろうと思っていました。

 

コロナの少し前に、両親は一度我が家を訪れたことがあります。

そのときに両親ともに食べる量が多いことに改めて驚いたわけです。

両親は、よく食べるのだと改めて気づきました。ちなみに両親は中肉中背です。

 

(両親の)自分たちの食べる量が多いから、ましてや自分たちより若い娘たちなら

「もっと必要なはず」

という思いで大量に送っていたのでしょう。

うっかりご当地銘菓の名前を挙げてはいけない

ところが最近、ぱったり実家から宅配が届かなくなりました。それは一つに、私が一度言葉を選びつつ、断りを入れたこと。

もう一つの理由は、父が高齢なので車の運転をやめたことです。車を運転しないから、宅配で送る買い物に限界があります。それもあり送られなくなったのです。

もちろん、それでも両親ともに自転車に乗って市内を自在に出かけていますから、年齢の割にかなりパワフルで元気です。自転車に乗れるというだけで、私より何倍も元気です。

ただ、車を運転しない状態で娘に何か送ろうとするあまり、今度は自転車で大量の荷物を運んでは危ないですから、

「送らないでほしい。」

と伝えました。

ところが少し前に一度だけ、以前より小さめの宅配が届きました。すると中にはご当地物の銘菓が入っていました。

その銘菓は、自転車でも30分ほど離れた街の中にあります。

母が言うには、私が電話の会話でその銘菓の名前を出したらしい。

だからわざわざ買ってきたといいます。それを聞いてうれしい反面、やはり心配です。

「下手にご当地物の銘菓や食品の名前を出せないなあ。」

と思ったのでした。

宅配物にイライラしたころがよかったのかもしれない

さいわいというか、なんというか、宅配は今のところそれでストップしています。ほっとすると同時に、大量の宅配の食品に少しイラついていた時の平和を思い出していました。

生きることは老いていくこと

あの年代(80代)にしては元気とはいえ、やはり生身の人間なので、少しずつ確実に老いはあります。

 

先日、素敵なユーチューブ動画を見つけてみていたら、

「両親が間もなく還暦を迎えます。」

のコメントがあり驚きました。

動画を見ていたら、考えてみれば私よりずっとお若い方なわけです。ところがついその動画の方と私はたいして年齢差がないと錯覚しながら見ていました。

両親が間もなく還暦ということは、まさに私はその動画の方のご両親世代であり、その方は娘くらいの年齢差というわけです。

子育てが一段落すると

夫は還暦まであとわずか、私はまだ5年前後の猶予があるとはいえ、大差ありません。ついこの間まで、子育てに無我夢中で、保護者会の出席にドキドキしていたのはほんの先日のことのようです。

ところが気が付けば、子育て世代ではなく、還暦という文字が目の前にある。生きるということは老いていくことでもあるんだと、あらためて感じました。

実家の両親の老いを感じたタイミングで、同時に自分の老いに気づいてしまいました。客観的に両親の様子と比較して、どうも自分はそのスピードが速すぎる気がしてがくぜんとしました。

さいごに

このような視点は、ネガティブでマイナス思考ということですが、梅雨時はどうしても後ろ向きの視点にむきがちです。

けれどもこうした視点もまた、現実を客観視する機会でもあり、常にポジティブでプラス思考でばかりいられないのが人間というものです。

ありがちな例えですが、高くジャンプするにはいったん、低くかがまないといけません。梅雨にいったん、パワーダウンしつつネガティブ志向気味になるのは、これから高くジャンプするために必要な、低くかがむ前段階なのでしょう。