はじめに
「常識を疑う」ことは必要だと痛感する本を紹介します。
この本は、一言でいえば「教科書で習った内容と真逆のこと」が書いてあります。もちろん、それをどう解釈するかは、みなさんの自由です。
いずれにしても、常に反対の可能性をも考えてみることは、盲点を防ぐためにも大事なことです。今回は、幕末から明治にかけた日本の歴史について、記された本を紹介します。
生活系のブログで「なぜに歴史の本を」と思うかもしれません。ですがカテゴリにこだわることは、そもそも枠にとらわれることです。ですのでそうした枠にはまることをやめようと思ったのです。「おもしろい」と思ったこの本の一部を紹介することにしました。
もくじ
- はじめに
- もくじ
- なぜ「腑に落ちない」のか
- 「薩長史観」について
- 明治維新は「維新」ではない
- 150年間、歴史の検証がされないのは日本だけ
- 初めての江戸幕府の日米交渉は互角だった
- 黒船来航で日本に圧力を加えていない
- 明治政府以降は日米交渉を互角に行っていない
- 著者について
- さいごに
なぜ「腑に落ちない」のか
学校で習ったことは、「常識」となり体に染みつきます。けれどもそれが「腑に落ちない」ことがあります。そのひとつが今回紹介する日本史です。
特に幕末から明治に至るあたりは、どうも腑に落ちない。フィクションを絡めてあるのは承知の上だけど、大河ドラマを観てもシックリこない。結果としてそこには「何かがありそうだ」と感じるのです。
けれども、それが何かを知るには至らず、日常の煩雑さに追われ思考の外に追いやられていました。ところがたまたま書店でこの本を発見して、再び「腑に落ちなさ」を思い出したのです。結果、その理由が見えてきた思いです。
さらにこの本に書いてあることは、いわゆる「トンデモ」話や「陰謀論」の類ではないことにも注意を払う必要があるでしょう。
「薩長史観」について
「薩長史観」という言葉で本書はスタートします。薩摩、長州とは場所としてはほぼ、今の鹿児島県と山口県を指します。
「薩長史観」とは、江戸幕府を倒して明治新政府に移行した流れを革命、つまり美化した歴史感を指します。つまり学校で習う日本史は「薩長史観」がベースになっているとも言えます。
実際、私たちは学校で、こう習います。
「江戸幕府という古い体制を、薩長勢力が中心となり、明治新政府を立ち上げた。そして日本は近代化の道に進んだ。」
徳川幕府を崩壊して明治政府設立の中心を薩摩、長州が担ったことは皆さんもご存じかと思います。
明治維新は「維新」ではない
さて、明治新政府といえば「明治維新」という言い方をします。維新とは改革されて新しくなることです。つまりは通常はこれまでより、新しく良い方向に変化したという位置づけです。
ところが本書によると実は、徳川幕府から明治新政府の移行は、維新でもなんでもなく、政治的な覇権争いの結果だったということです。
150年間、歴史の検証がされないのは日本だけ
さらに維新するからには、元の政府がよくない前提が必要です。ところが、江戸幕府はまったくそのような状態ではなかったとするのが本書の見解です。
つまり極端な言い方をすれば、薩長勢力が江戸幕府をクーデターで覆したという意味です。それ自体は過ぎた過去のことだからどうしようもありません。
では何が問題かというと、150年もの間、歴史を検証されていないことだそうです。
「勝てば官軍」の通りに、当面は勝者の言い分が通るとしても、ある程度の年月を経た場合は、歴史の検証をするのが自然な成り行きなのだそうです。
ところが日本に限っては、政府の覇権争いで主導者が変わっても、150年もの長い間検証すらされていないそう。これは世界でも日本だけだというのです。
初めての江戸幕府の日米交渉は互角だった
本書にはその裏付けとなる驚きの情報が多数記されています。特に印象的だったのは黒船来航時に対応した林復斎(はやしふくさい)という人です。
初めての日米交渉をした林復斎の応対は、素晴らしいものだったようです。結果として幕府はペリーと対等に互角に交渉をしました。さらに林復斎が交渉して締結した日米和親条約は、日本に分がある結果となっていたのです。
黒船来航で日本に圧力を加えていない
ところが私たちが習った歴史は違うものです。アメリカが圧力を加え、幕府はやむなく従ったというものです。
林復斎は学問的教養が高く、官僚としても優秀な人であったそうです。それだけではありません。本書には当時のペリーとのやり取りの様子が記されているのですが、要求の内容を正確に分類してペリーの目的を理解しています。
幕府は1年前からペリーの来航を把握していたし、ペリーに交戦の意図がないことや、意図は蒸気船の石炭補給地の確保にあるなどを読み取っています。見事に交渉をこなしていた事実があるのだそうです。
明治政府以降は日米交渉を互角に行っていない
ところがその後、明治以降は令和に至る現在まで、150年の間日米交渉で日米が互角に渡り合ったことはないそうです。だからこそ、明治以降にできないことを、江戸幕府がやっていたことは都合が悪いということになってしまうのだそうです。
この時の交渉の様子はこちらの書籍に詳しく整理してあるそうです。
著者について
原田/伊織
作家。京都伏見生まれ。大阪外国語大学卒。2005年私小説『夏が逝く瞬間』(河出書房新社)で作家デビュー
「BOOK著者紹介情報」より
さいごに
ここでは本のごく一部を紹介しました。ぜひ一冊を通して読んでみてください。
歴史は誰の視点で描かれているかが重要です。最近はあちこちで歴史の「常識」が覆される例が増えています。
様々な情報を自由に得られる時代になった今となっては、一方通行の情報だけでは足りなくなるのは当然です。
その真偽を問うことそのものというよりも、いつも思考や判断について一方の視点を持たないように心がけること。そうしたことが大事だということを、この本を通して改めて学ぶ機会を得ました。