よく言われる「生きづらさ」に関して、少なくとも日本においては年々軽減しているとも感じます。
・・と書くと「そんなはずはない。コロナもあるし、世の中は苦しんでいる人が増えている」と反論が来るかもしれません。
ここで言うところの「生きづらさ」とは、「世間の偏見」から来るものについてです。確かに、コロナだけではなく、世の中全体の諸問題は、私たちが向かわなくてはいけない。
一方で、世間が個人に対して、やれ「結婚しなさい」とか「子供はまだなの」とか、「2人目はまだ?」のような身近な偏見をはじめとして、「いわゆるカミングアウト」的概念のようなことさえも、年々寛容になっていると感じています。
とはいえ、客観的には取り立てて何がどう、ということはない。けれども何より本人が周囲とのズレを感じて生きている。・・こういうことは確かにあるでしょう。
「じゃあ、何が?」
と問われたとして、何がどう違うのかと声高に言うようなことでもない。けれども現実は違和感だらけ。
「普通って何だろう」
そんな疑問と生きづらさを抱える主人公の思いが、コミカルでスピーディな展開と、ラストの狂おしいほどの叫びが印象的だった芥川賞受賞作品「コンビニ人間 (文春文庫)」
でした。
今回手に取ったのは、「コンビニ人間」をもっと色濃く脚色したような作品です。
文学作品は、意外にテレビなどと比較して、静穏な印象があるけれど実際は違うことがあります。通常は文学愛好者によって「まあ普通のこと」として軽く受け流されます。一方で、ベストセラー作品やそのあとの作品は物議を醸すことがあるでしょう。それは普段、文学作品を読まない読者も多数いるので、その違和感に耐えられないのかもしれません。
そういう意味において、この作品中の内容は文学作品として決して、ぶっ飛んでいるわけではありません。けれども例の芥川賞受賞作品が読みやすかったので、そのような期待をしてしまうとちょっと面食らうことになります。
印象としては、「コンビニ人間」と同列の感情を抱く主人公がいて、作品としては「コンビニ人間」よりもっと強い表現にした感じです。
「コンビニ人間」が芥川賞を受賞したのは2,016年です。この作品はいわば世間が「恋愛→結婚→出産・・」という流れに進むのが当然で、それに沿わない主人公のような女性は世間から異端児扱いされる違和感と生きづらさ、怒りに近い悲しみを表現した作品です。
今回読んだこの「地球星人(新潮文庫)」も同様に「生きづらさ」が表れています。「コンビニ人間」は日常の割と普通の光景が使われているので、読みやすいのですが今回の「地球星人」は根っこにあるテーマは同じなんだけど選ばれている材料が前回よりクセがあります。とはいえ、小説なので、それほど耐えられないほどの特異さではありませんのでこういう表現が苦手な人でも、読めると思います。
「コンビニ人間」が出た時期と比較して「地球星人」が発売されたのは2年後の2,018年です。わずか2年ですが、世の中の価値観はだいぶ寛容になっていると思います。
確かに2,016年くらいならば、女性の未婚、子供なしという生き様は何かと追及されやすかったかもしれません。実際、私も結婚してすぐに子供を出産しなかったので、まわりにことあるごとに「子供はまだ?」と言われたものです。でも現代は、子供を持たない夫婦がいても昔ほどには言及しなくなっているのではと思います。
その他、世間が寛容になっている例として勝間和代さんがカミングアウト後の世間の反応が印象的でした。(現在は元パートナーとの関係は終了)世間はそれほど驚かなかったし、マイナス面の言及をする声もほとんど聞かれていません。
つまり意外にも、村田沙也香さんの両作品で描かれているような世間のズレは、現時点ではもう、小説の主人公が気にするほどには、もう世間は気にしていないと思えます。これこそが時代の流れが速くなった表れの1つでしょうか。
もちろん、まだまだ地球規模では様々な追及があるわけですが、少なくとも日本においては世間とのズレを、何より本人が意識しすぎないことが肝心なことではないかと思います。