はじめに
「もう、毎日が楽しくて、楽しくて。アメリカのある雑誌のアンケートによると、数学者はストレスの溜まらない職業ナンバーワンだそうですよ」
この作品はノンフィクションです。著者が複数の数学者と対面しています。「数学者にインタビュー」という、一見して食わず嫌いになりそうな内容とは思えません。ページをめくる手が止まりません。一気読みしました。
もくじ
「数学に親しむべきなのかもしれない」と思った
この本を読み進めるにつけ、「私も今更ながら、数学を楽しんでみようかな」と思いました。
というのも、この本に登場するある数学者が「数学は基礎ができていなくても、自分のレベルでどこからでも楽しむことができる」と言っていたからです。
紙とペンさえあればできるのだし、
「やってみようかな」
と思いました。
それほどに本書に登場する数学者たちは、みな誠実で優しくて、温かい。同時に著者の鋭いわかりやすい感覚も加わり、興味を抱いたのです。
『ちょっと、修行みたいなところがあります。』
数学に対する恐怖心
ところが本書の後半になって、「とは思ったけれど、そんな思いは大それたことなんだろうか」と一瞬思ってしまったのです。けれどもそれはすぐに私の思い込みだということがわかります。
それは神戸大学教授、渕野昌(ふちのさかえ)先生との対面の回を読んだ時です。
この回を読むと、冒頭部分では著者同様に、今更ながら数学に対する恐怖心と、緊張感が沸いてきました。
同時に今更軽い気持ちで「数学でもやってみようかな」なんて、「おこがましいのではないか」という気持ちが出てきました。
なぜ数学と「先生」に恐怖心を抱いたのか
著者は対面の直前に、渕野昌先生のWEBで公開している文章を目にします。そこにはちょうど、著者のインタビューを受けることにした経緯と背景などが記されています。ほかにも様々な文章が公開されているのですが、著者はそれらを読んで、緊張しインタビューに向かう足がすくむ経験をしています。
ところが実際に会った渕野先生は全く違っていたのです。そこで著者はなぜ、恐怖心を抱いてしまったのか、自らの背景をもう一度思い返しています。
怖いと思うから怖い。怖い気持ちが勝手に膨らんで、実際の渕野さんと全然違うイメージを持ってしまったのかもしれない。数学に対してもそうだ。自分には絶対理解ができない恐ろしい学問だと、思い込んでいるのかもしれない。
と気づきます。
勝手に怖がっていた
そして渕野先生は言います。
数学は点を取るだけのものだと思ってる人と、宇宙を知るための道具の1つだと思っている人。確かにこの違いは深刻だ。僕は今のところ前者のタイプだが、もし後者のタイプだったとしたらどうだろう。
渕野昌先生は誠実に、紳士的に応じてくれていたのです。ところが著者は
僕は勝手に怖がっていたのだ。
と思い込みに気づきます。怖がっていたのは渕野先生に対してだけではなく、数学そのものに対してもそうだったことに気づいたわけです。
さらに渕野先生は、「生きている人の中で一番頭のいい人(サハロン・シェラハ - Wikipedia)」の助手を半年間やったことを話します。
そして「上には上がいる」けれど
「うん、自分のできることを、やるしかないですよね」
と言います。そして著者は、
自分の能力の範囲で、できることをやり続ける。数学に限らず、人が生きるとは、そういうことなのかもしれない。
と締めくくります。
渕野先生のような方でも、そのように考えている。私も、私ができる範囲でできることをやる。私ができることをやり続ける。そうしよう、と思いました。
数学者を通して「生き方」を問う
この本を読むと、数学者へのインタビューを通して、様々な生き方を垣間見ることができます。おそらく想定読者は、かなり若い年代と思われます。10代後半~でしょうか。進路に迷い、右往左往する若手の青少年たちの、ヒントになりそうな内容が満載です。
けれども実は、年齢に関係なく本書の内容が役に立ちます。それはなぜかというと、人生経験豊かな数学者たちの言葉は、どれをとっても誠実で現実に向き合った、ごまかしのない言葉だからです。
生きていれば若かろうと年を重ねようと、迷いや不安や葛藤が常に起きます。けれどもそういうときにも、「できることをやり続ける」しかない。
同時に、恐怖心から目を背けたりするのではなく、真正面から向き合うことが唯一の解決になることもある。同時に恐怖心は思い込みに過ぎないことはよくあるというわけですね。
この本を、若い年代の時に読むことができた人は、かなり運が良いと思います。私は50歳を過ぎてから読みましたが、それでも読み逃さなかった分、かなり運が良いといえます。
著者はどんな方?
二宮 敦人
一九八五年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。二〇〇九年に『! (ビックリマーク)』でデビュー後、『一番線に謎が到着します』『裏世界旅行』『最後の医者は桜を見上げて君を想う』など、癒し系ミステリーからホラーまで幅広く小説を執筆。一方で、初ノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 がベストセラーとなり、以後、本書や『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』などでも評判に。
アマゾン商品紹介ページより引用
さいごに
ノンフィクションというと、人によっては、おもしろさとはかけ離れているイメージがあったかもしれません。ところがこの作品は、「おもしろい」どころではありません。小説を読んでいると錯覚してしまいそうです。
「数学者たちから聞いた話」という材料を、著者が絶妙なテクニックで仕上げる名コックのようです。
この本を読んで得られた最大の収穫は、世の中には数学者という誠実な人が多数、確実に存在していることを知ったことにもあります。
読みやすく難解な表現はありませんので、サクサク一気に読めます。先生方一人一人個性があります。一見、抽象的になりがちな数学の概念も、わかりやすく描かれています。