はじめに
2015年から運営しているこのブログですが、2017年頃にとんでもない事件が起きました。
ブログをワードプレスという自営的な運営から、はてなブログというブログサービスに引っ越したときのことです。
画像が消えた
あろうことか、それまでの画像がほとんど消滅してしまったのです。当然、当時の私は落ち込みました。けれども消えてしまったものはもう元に戻りません。
そこでしばらくして思い直すとともに、大事なことに気づいたんです。
「過去より今が大事」
ということに、です。
さいわいに、私のブログは過去記事に読者が読みに来るよりも、日々新しい記事を習慣的に訪問してくれる人がいるタイプのブログです。
確かに過去記事が多少は読まれてはいますが、それ自体はテキストが残っているので、たいした問題ではなかったんです。
こうした根本に気づいてからは、前を向いてブログを引き続き書けば良いだけだと気づきました。
過去画像は消えるべくして消えた
過去画像が消えてしまったのはある意味、試されたのかもしれませんね。過去という戻らないものに執着しているようなことはないのかと。つまり過去画像は、消えるべくして消えたのです。
考えれば過去記事も画像も、実はさほど重要ではないのです。なぜなら全てが過去の遺物だから、です。
もちろん、たまたま過去記事を読みやすく修正することはあります。けれども、それはたまたま目についたときや、よほど余力があるときの暇つぶしであり、思い入れはそこまでです。
過去よりも大事なのは今
過去を振り返るよりも大事なのは、今を生きること。心からそう思う理由は、筆者のある経験がきっかけになっていると思われます。
2016年に、急な病で健康上の急変と、ライフスタイルが大きく覆った経験です。
そのことをきっかけに、生きていて、歩くことができて、ブログを書けて、コンビニにもスーパーにも、書店にも、いつでも自由に行けるだけでもかなり幸せ、と痛感。
また、同時に自分はかなり運が良いとも思いました。何せ生きているのですから。
完璧は存在しない
ブログ記事にしても、自分の生き方にしても完璧はないんです。むしろ完璧じゃないからおもしろいし価値がある。心から、そう思います。
ブログ開始当初から心がけているのは、「飾らない本心をリアルにつづること」です。それが人間だし、AIにはできないこと。
けれども自分濃度を濃くしないことも生き抜くコツだと実感しています。二人といない自分という人間を、ほどほどに尊重すると同時に、過信もしすぎない。そういうことを意識しています。
常に自分を客観視して他人を見るように見守る。それはブログの記事を淡々とつづることと同意義です。