「家事が大変」というけど、便利家電があるじゃないか・・というように、現在は家事は昔に比べて楽になったと思われています。でも、それは錯覚かもしれません。
ということを知るヒントになるのは、箱膳という箱の存在です。この箱は一人一つを自分で管理していて、中には一人分の食器が入っています。
食べるときは、箱膳を置いて、蓋に食器を並べます。食べ終わったら、残しておいたたくあん一切れでご飯粒などをぬぐいながら、いっぱいのお湯を飲んでまた蓋をしてしまうのです。
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つまり昔の日本人は食器を洗わなかったのです。というと衛生面が気になりますが、最後にお湯を入れるので殺菌になったのだろうし、そもそも洗剤が必要になるようなものを食べていなかったでしょう。
同時に水道から水を汲むのだって重労働で、それは子供の仕事だったらしい。現代では家電があるのに「主婦は家事を大変だと贅沢なことを言う」という見解も一部あるようですが、その実態は、そもそも昔は、食器洗いなんて必要なかったし、洗濯も毎日なんてしなかったことでしょう。
もちろん、明らかに現代のほうが環境が整っている面が多いのですが、それでも実際は、昔は必要なかった家事が増えているのかもしれないのです。
その理由は例えば便利家電が売れれば企業の利益になるということです。洗剤も、本当はそれほど必要ないのに、必要だと思い込まされいるのかもしれない。
シャンプーリンス、ボディシャンプー、歯磨き、床磨きの洗剤、窓拭き用の洗剤、顔洗いようの洗顔料・・きりがないほどの製品に私たちは囲まれて暮らしています。
素直でいい人ほど、これらをすべて「必要なのだ」と思ってしまい、家の中も収集がつかない人も多いことでしょう。
もちろん現代の視点で見れば、いくらお湯を使っていても、洗剤で洗って乾かしてから蓋をしたほうがいいのだろうな、とは思います。
ですが、最近読んだお寺の修行僧の食事は応量機器という入れ子式の食器を使っているそうです。
やはり食事後はいっぱいのお湯で、たくあんでご飯粒をこそげ取り、飲み干して各自が始末をしているらしいです。(コロナの現在は別の方法をしているかもしれませんが)
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つまり家事というのは、例えば主婦や主夫に丸投げするようなものではなく、そもそも各自が責任を持ってこなしていた側面があったのです。
しかもエコです。過剰な水や洗剤を使わず、それを収納する家具も多すぎる食器も使ったいなかった。
もちろん、身分や立場でその内容は違っていたかもしれませんが、現代のほうが昔よりも却って家事負担が大きくなっているという点は注目しておく必要があります。