はじめに
以前は「自分がやるもの」の思い込みで家族の世話系家事をやっていました。
けれども最近、少しずつ家事を手放しています。
厳密にいえば、自分に関する家事は続行していますが、それ以外は家族各自ができることは、極力手を出さないようにし始めています。
朝食を作らない(配膳、食器洗いは各自がやる)
付け加えれば、朝食は「タッパーから出すだけ」などの状況まではやっています。あとは家族がそれぞて、自分でおかずを盛り付けて食べて、食器を洗うというわけです。
例えばタッパーには、千切りして酢や塩もみした野菜を作って入れておきます。そのほか冷蔵庫には、出すだけで食べられるおかずになる食材を入れてあります。
例えば、
- 生卵、温泉卵、なっとう、とろろ昆布、梅干し→出すだけで食べられる、必要なら卵を各調理
- 油揚げ→トースターで焼く、フライパンで焼くだけで食べられる
- 鯖缶→出すだけで食べられる、トッピングにタッパーの野菜を乗せても
- 味噌、鰹節、乾燥わかめ→お椀に入れてお湯を入れれば味噌汁になる
- 塩もみ野菜→カットした野菜を塩もみしてリンゴ酢をかけておく→様々な付け合わせに
などの食材を用意してあります。これを私が盛り付けして、家族の食卓に用意する必要性はありません。ここまで用意してあれば小学3年生くらいならできます。でも実際は、こうした段取りを始めたのはつい最近です。
つい2,3年くらいまでは、朝食も家族の目の前に出していました。しいて言えば、食べ終わった食器をシンクに戻してもらうくらい。
夫にはシンクに戻すまでで、息子は洗って水切り籠に入れるところまでさせていましたが。
自分で各自できる家事はもっとある
考えてみれば、ほとんどの家事は各自が自分でできます。小学3年生にもなればだれでもできるのです。
たとえば洗濯は洗濯機に入れてセットして干して取り込む。
他には簡単な食事を作り、盛り付けて食べて洗って食器をしまう。複雑な料理や揚げ物や大量のお湯を使う料理は微妙だけど、朝食メニューくらいならだれでも作れます。
例えば目玉焼き、インスタント味噌汁、サラダなどはだれでも用意できます。
掃除も同じです。掃除機をかける。クイックルワイパーで床を拭く。こんなことも子供でもできるのです。
それなのになぜ、主婦が手を出してしまうのか
けれどもなぜ、家事のほとんどを主婦がやり負担を感じるのでしょう。
それは1つに家事効率と水道光熱費などの節約の視点があります。たとえば洗濯は各自がそれぞれ洗濯機を使っていたら、水も電気も干す場所も非効率的です。
だからたいていは、主婦が家族の分をまとめて洗ってしまうわけです。それは料理も掃除も同じ視点があります。
現在でも洗濯は、結局家族の分を私がまとめて洗って干して取り込んで戻しています。これは単に効率の都合からそうしているのですが、それが家事分担の誤解を生んでもいるんですね。
さいごに
家事効率と水道光熱の効率を考えると、主婦がやったほうが早いし節約効果があります。けれどもそれは、主婦の家事負担が増えることに。
それで家族がある程度の年齢になったならば、できることから主婦が家事を手放す努力が必要だと思うのです。
我が家の場合、現状で手放しに成功しているのは朝食の準備です。これは作らないことと同意義ではありません。
家事を手放す努力も必要だと思う次第です。
配膳や食器洗いのようなことまでめんどうをみないということ。家族の家事で疲れている方の参考になればうれしいです。