はじめに
あまりに外は暑いので、ウォーキングを控えめにしています。その代わり片付け作業をしました。
予想以上にすっきりして満足したのですが、帰宅した夫の反応は・・
帰宅して、室内のどこかがすっきりしていると、
「何か(自分のものを)捨てられたのではないか」
と不安になったようでした。
捨てるのは自分のため
もちろん、家族のものは1つも捨てていません。
第一、捨てる作業はときにつらいと感じます。それをいちいち口にしないだけです。けれどもそれは、いずれ家族の誰かが背負わなくてはなりません。
ものを捨てたときは、捨てる辛さを引き受けています。
捨てるのはだれのためでもない。家族と自分のためです。家族と自分が生きやすいように捨てるのです。同時に誰かに見せるためでもありません。あくまで心おだやかに過ごすために捨てるのです。
実際にすぐに捨てるわけではない
今回の片づけでは、私の本棚から、ごっそり本を間引いただけで、実際に捨てたわけではありません。
ただ、本棚に惰性で並んでいるだけの本を本音で取り去ってみただけです。すると本棚に残ったのは、たった20冊くらいの本でした。そのうち半分の10冊ほどは、ここ1週間の間に買ったばかりの本です。
最近は手持ちの本の鮮度を意識していて、いつ読むかわからない本を残さない方針です。そんな調子なので、たまに同じ本を買いなおすことがあります。
先日はある古典の薄い本を買いなおしました。この本は3回目です。古典はこういう時、必ず買いなおしが効くので助かります。
読まないなら、いったん手放し白紙に戻す
もちろん、実際に読まなくても本棚にあると思うことの効果はあります。けれども最近の自分の気分は、そういうものではないんです。
今、読まないならいったん白紙に戻す。そして読みたくなったら改めて取り寄せる。
こうした状態を繰り返すと、だんだん自分にとって本当に大切なものがあぶりだされてきます。本に限らず、です。
今の自分には「読むか読まないかわからない本」で本棚を埋める余裕がありません。本棚に並ぶ本は、今確実に読む本だけ。
そうしないと、雑念でおおわれて疲れてしまいます。
さいごに
「とりあえず保管」
できるなら、それでもかまいません。けれども現在の私のように買ったそばから即手放していく様は、夫にすれば自分の感覚の外なのかもしれません。
まあ、それが普通だと思います。どの程度の物の持ち方がちょうどいいと感じるかは、育った環境によることも大きいかもしれません。
私の場合、実家の母があの年代には珍しく潔く定期的に物を処分する人でした。幼いころは、それが嫌でしたが、気が付けば似たようなことをしているなと苦笑しています。
子供だった自分は、家の中にあるものをコントロールしなくても、よかったわけです。だから「捨てるのが嫌」と無責任に思えたのです。
でも今は違います。家の中にあるものは少し先を見通して処分しないと、物に埋もれて大変になるのは自分です。自分の家の物に責任があるから「嫌」なんて言っていられないのです。
今はそれが痛いほどわかります。